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南定四郎様

永らくご無沙汰しておりますが、お元気で御活躍の御様子、お喜び申し上げます。先日の第三回レズビアン・ゲイ・パレードには全国から多数の仲間が参加したとのこと、今後ますます多くの人が集い、 力強い運動が展開されてゆくことを願うばかりです。

しかしながら、大変残念なことに、パレードとその実行委員会のあり方、運営の仕方をめぐって、あなたと京都の人々を中心としたグループ「プロジェクトP」との間で意見の相違があって、 本来ならばともに運動を担うこともできたはずの「プロジェクトP」が実行委員会の一員として参加することが叶わなかったとのこと、「プロジェクトP」の友人たちから聞きました。
さまざまな人々が手をつないで前に進もうとする運動の過程で、さまざまな意見が出され、多少の見解の相違が生まれるのは当然のこと、 異論が提起されず常に一枚岩のごとく行動する事態こそ非民主的な異常集団だと思われますのに、「プロジェクトP」から提起された諸問題を実行委員会の場で検討することもせず「継続委員会」 なる暫定的機関の一存で「門前払い」されてしまったことは、日本におけるレズビアン・ゲイ・パレードの民主的であるべき歴史の中の、大きな汚点となるでしょう。
パレード前日の実行委員会に提出された「要望書」に呼びかけ提案団体・個人の一として加わったのは、このような想いがあったからです。

今回の件に関して、ぼくは直接の当事者ではありません。しかし、今回の件の事情を聞くにつけ、9年前の1987年8月第一回IGA日本(現ILGA日本)総会のことが思い出されてきます。
あの総会の模様については、あなたがさまざまなところで語ってこられたことを見たり聞いたりしてきました。「不満分子」やら「反乱」といった表現で、 あなたと意見を異にしたぼくたちを批判的に語ってこられたのを黙ってみてきました。
しかし、今回のパレードをめぐる「プロジェクトP」とあなたとのやりとりを知り、また、『クイア・スタディーズ'96』でのインタヴューで当時を振り返っておられるあなたの言葉を読んで、 あなたが87年夏の論争の本質を、まったく理解しておられないことを知り、愕然とするしかありませんでした。
あの時の論点は、「会員制の是非」などという瑣末な問題ではありませんでした。 ぼくは、「年会費12000円は高すぎる」と主張はしましたが、会員制そのものに反対した覚えはありません。
そして、あくまでもあなたと意見の一致を見ずに論争が続けられたのは、 「東京を本部、地方を支部とする中央集権的・ピラミッド型の組織」「ILGAを日本で唯一のナショナル・センターとする」という、 あなたの組織ヴィジョンを是とするかどうかという、運動論の本質のかかわることだったはずです。
中央集権型ナショナル・センター構想は、先行市民運動の失敗から学んでいないとするぼくの主張に、中山晋作会長は一定の理解を示されましたが、 あなたは最後まで歩みよりを示そうとはなさいませんでした。

他人の意見に、なぜあなたは耳を傾けようとなさらないのか、ぼくにはまだ理解できません。
あなたが提案された規約の多くの条文に、ぼくは「保留」の提案をして、 あなたはそれを「無責任だ」となじっておられたようですが、否決して完全に葬り去ってしまうのではなく、 検討し続けて多くの人が納得できる条文にしたいと願っての提案を、そのような決めつけで非難することしかおできにならないあなたの偏狭さは、9年後の96年に至っても変わらなかったようです。 残念としか言いようがありません。
なぜ、自分と意見を異にする者の声に、謙虚に耳を傾けるということができないのですか。
「継続委員会」という非公式な機関でパレードの根幹を決めてしまったやりかたも、 事務局長を辞退しておきながら「総会議長」というその時限りの地位を掲げて実権を握り続けていた87年〜88年のやり方と寸分違いません。
あなたの周りに集まった若者が次々去ってしまったこの数年、一度も「独断専行的なやりかたにこそ問題があったのではないか」と、自省されたことはなかったのでしょうか。 (実行委員会で討議する前にパンフレットを作成・配布するなど、明らかに暴走です

せっかくこれまで数々の運動を先導してこられたのに、人々の信頼と敬愛を集めることができなかった独裁者という汚名だけが記憶されることになっては、まことに無念なことであろうと思い、 失礼を顧ずお手紙をさしあげました。

(1996年8月31日)

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