→OGCの歩み

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OGC発足の顛末

1987年8月17日から22日にかけて「IGA日本」は、代議員会と分科会とからなる第一回の全国大会を開いた。代議員会の出席者は十数名、大阪からは3人が出席した (ほかに大阪のメンバーでオブザーバー参加が一人)。OCCUR(アカー、のちに「動くゲイとレズビアンの会」とも名乗ることになるグループ)からも、たしか3人が参加、 そのほかに札幌からの参加者もあったと思う。

「IGA」というのはヨーロッパに本部を置く国際的なゲイ・リブのグループで、日本ではゲイ雑誌『アドン』編集長の南定四郎さんが本部の呼びかけに応えて活動を始めたものである。

初めての全国大会は、しかし、波乱に満ちたものとなった。「IGA日本」を(本部の改称にもとなって)「ILGA(International Lesbian&Gay Association)日本」 に改称する件に関しては、「もっとレズビアンとの連携をもって欲しい」という要望が出された程度で異論は出なかったものの、そのほかの案件では南事務局長が提案した会則案のほとんどが保留、 ないしは否決されたのだ。
ぼくなどもかなり発言して、事務局長とさまざまな点で意見を異にした。ぼくが「保留」を提案したのは、もうすこし慎重に検討して欲しいという意味合いを込めてのことだったが、 これがのちに「不満分子」とか、否決よりなお悪いなどと非難されることになった。
主な対立点は、

結局、「会長」は削除(役職は事務局長と財務部長のみに)、「本部」を「事務局」に、「半年間活動しなかった会員を除名」を「(活動を促すために、だったかな?)連絡する」に修正。
選挙の結果、事務局長は票が分散したために候補者が二人とも辞退、空席のまま閉会した。

大阪のメンバーたちは、9月に予定していた3周年記念パーティーへの出席を南さんに依頼していたのだが、直前になって欠席の連絡が入った。さらに後日、 「今後ILGAの名称を使うことは認めない」という通知が届いた(「日本でのILGAの活動し関しては、自分が任されているから」というのがその理由だったが、10年ほど後になって、 南さんを通さなくてもそれぞれの団体が個別に加入できることが判明。今では、いくつかのグループが加盟していると、思う。OGCは、めんどくさいから、してない)。
以上が、「OGC」発足の顛末。

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