| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
卒業式予行。
数年前から、卒業生が立ったり座ったりする部分を先に練習しておいて、後から在校生も加わって、全体の流れを説明しつつ在校生の立ったり座ったりを練習するという「合理的な」
予行に変わったのだが、これで、全体のイメージが伝わるんだろうか?本番はうまく行くんだろうか?と思ってしまう。なんとなく緊張感が欠けるように思うのはぼくだけか。
まあ、例年、本番になれば、それらしく仕上がるんだけど。予行に出たために嫌になって、本番に欠席してしまうというのもいたから、今のやり方の方が、本番が新鮮に感じられていいのかも。
Naoから「どっか行こう」コール。セルフのスタンドでガソリンを入れた後、鳳の方に行きたいと言うから南に向かって車を走らせていると、
310号線との交差点に差しかかったところで「五条←」という道路標識を見つけて、急に「五条に行こうや」と言い出す。山を越えた奈良県側だ。
「ええ?・・・310号線を走るのは時間かかるで
(片側、一車線道路)」と渋ってみせたが、それでも行ってみたいという。「五条に行っても、何もないで」と言いつつ、左折して310号線を南東に走る。
ところが、河内長野駅近辺で310号線と371号線、170号線がゴチャゴチャに交差していて、標識が不親切なうえに夜中で道の状況もよく見えないというわけで、
わけもわからずそのまま真っ直ぐ走り続けていたら、イメージしてたのと違う道に迷い込んでしまった。いったい、どこを走っているのやら、たぶん、和歌山に向かう道を走ってるんだろうな、
と思っていると、突然、「五条←」という標識が出てきたので左折する。なんで、こうなるの?
ぼんやり靄がかってきた道を登ったり下ったり、トンネルをくぐったり、どうやら奈良県側に入ったか、
といった辺りで、霧が濃くなってきては困るので、Uターンして戻る。戻るのも、どこをどう走ったのかよくわからないが、ともかく河内長野駅の裏まで戻って来れたので、
元来た310号線を堺方面に向かう。
途中、イタリア料理の店を見つけて、遅めの夕食を摂る。食べ終わって満足したのか、店を出て100メートル走るか走らないかで、Naoは居眠りを始める。
いつものように、家の前に着いたところで起こす。
風邪の後遺症(?)で体の感覚がおかしくなっているのか、パンを食べていたら、思い切り舌をかんでしまった。しかも、真ん中を、だ。舌の端をかむことならたまにあるが、真ん中をかむなんて、
なんとも器用だ。我ながら、どうしたらこんな芸当が出来るのかと驚く。
胃腸の調子が悪いということなのか、ビタミンBが不足しているのか。
臨時職員会議。卒業生の校内表彰の件だ。
集合が遅れて定足数に達するまでに時間がかかったが、始めてしまえば、生徒会顧問、クラブ顧問から推薦された生徒の名簿を承認するだけのことだから、
あっという間に終了。30秒か。1分以上はかけてないと思う。
これで2月の議長当番はすべて終わった、はず。何か案件が出てきても、あとは知〜〜らない、と。
教育相談係のミーティングでは、係の教師が生徒にやってもらった「箱庭」について担当教員からそのときの状況などについて説明を聞いたが、
スクール・カウンセラーからかなりきつい注意を受けることになった。生徒の自発的な「箱庭」から逸脱して、教員が「働きかけ」過ぎているというのだ。
熱心にやってもらうのはいいが、教師の「熱意」が先走ってしまって、生徒が置いた「箱庭」に何か「特別な意味づけ」をしてみたいという教師の気持ちが出てしまっている。
それは絶対避けなければならないことだ、と。これでは、クライアントのためにしたのではなく、先生のためになってしまっている。先生の「勉強のため」だったら、生徒にしてもらうのではなく、
同僚の先生にやってもらってください・・・。
表情は穏やかだったが、注意の内容はきつい。彼(この熱心な教員)の張り切りようにいつも危ういものを感じていたぼくなどは、
ちょうどいい機会だと納得する。「カウンセラー」と称する人の中にも、そんな危うい自己満足屋がいるが、越えてはいけない「一線」にきちんと踏み止まること、
自分はまだまだ未熟だと自覚することが大切だ。
相談係のミーティングを終えたところで半休を取って、「グッドナイト&グッドラック」試写会に向かう。アカデミー賞にノミネートされている話題作だ。
映画館を借り切っての試写会で全席指定となっているので、先に座席指定を受けてから夕食を摂る。劇場の下の階にBRUNOがあったので、十数年前によく食べたなすびカレーを頼む。
頼んでから、舌をかんで荒れていたことを思い出す。カレーが沁みるうえに、食物をかむたびに舌が痛んで閉口した。
昔はうまいと思ったなすびカレーも、改めて食べてみると大したことはない。
しかも、薬味とカレールーとご飯を給仕しただけなのにサービス料を取るなんて。料理を出す店が客のところまで料理を運んでくるのは、必要最低限のサービスだ。
余分に10%をいただこうなんて、どういう料簡か。根性が下司だ。
さて、「グッドナイト&グッドラック」。1950年代前半のアメリカで猛威を振るったマッカーシズムに対して、果敢に立ち向かっていったたテレビキャスター、エド・マローの物語だ。
マッカーシズムと言えば、一般には東西冷戦の緊張が高まる中で共産主義に対する警戒感・恐怖に乗じて、マッカーシー上院議員が「共産主義者」とそのシンパを告発・排除しようとした
「アカ狩り」のことを指す。だが、ぼくにとっては、そのどさくさに紛れて同性愛者をも粛清しようとした「ホモ狩り」のことでもある(いまでは、
彼の側近スタッフがクローゼット・ゲイであったことが明らかになっている。おそらく、クローゼットだったからこそ、「ホモ狩り」に精を出してみせることで「俺はホモなんかじゃない」
と「証明」しようとしたに違いない。痛ましい話だ)。ただし、この映画では「ホモ狩り」のことについては、まったくふれられていない。
そういう点での不満はあるものの、当時、
飛ぶ鳥をも落とす勢いを誇っていた有力政治家のやり口を真っ向から批判するのは、並大抵の覚悟ではできないことだったろうという意味で、そんなマローをどう描き出すか、
興味深くスクリーンを注視した。
映画の中では、彼と彼のスタッフが様々な圧力に負けることなく、自分たちが正しいと思ったこと、視聴者に伝えねばならないと思ったことを電波に乗せていく過程が描かれるが、
周辺スタッフが一丸となって自分たちの信念に従って黙々と働く姿はすがすがしいほどだ。もっとスタッフ内部で迷いや抵抗があるのかと思っていたが、少なくとも、
自分のスタッフに足を引っ張られるなんてことはなかったようだ。
はじめのうちは「いままで金は出しても、口を出したことはない」なんて言っていた経営者が次第次第に日和ってくるのは、
経営者の常とは言え、まだこれでも頑張った方だと褒めてやるべきか、やっぱり、ろくなヤツじゃないと溜息をつくべきか。
当時の雰囲気を出すためのモノクロ画面が、美しい。
(ヴィデオのない時代)フィルムを映写して録画チェックや編集を進めたり、原稿をタイプライターで打ったりといった製作現場の様子も興味深いが、
ニュースキャスターが堂々とタバコをふかしながらカメラの前で話すというスタイルにも驚く。
映画は、マローの業績を顕彰する報道番組制作者組合のパーティーでのスピーチから始まり、
伝えるべきことを伝えなくなってきたテレビ業界の現状を憂える結びの言葉で閉じられる。ぼくは、50年代のマッカーシズム時代のことはもちろんのこととして、それと共に、
9.11以降のアメリカ・ジャーナリズムの惨状を思いながらこの作品を観ていたが、だから、マローの結びの言葉は一言ひとことがグサリ、グサリとくる。
スクリーンが見せるのは50年代のことでも、
テーマとして描き出すのは、まさにいまのアメリカだ。「9.11」の胡散臭さ、イラク戦争のまやかし、ブッシュのウソの数々を、真正面から追及しようとした報道人がいったい何人いたか。
「ブッシュ大本営」の言いなりになっていたマスコミがどれほど多かったか(日本のマスコミの情けなさは、アメリカのさらに上を行く)。
「ブロークバック・マウンテン」がアカデミー賞を取るか、ということばかりにみんなの関心は向いているようだが、それも大事なことだとして、ぼくは、果たしていまのアメリカが
「グッドナイト&グッドラック」を受け容れるだけの誠実さをもっているだろうかということの方に、より関心がある。
たぶん、彼らは逃げるだろうな。
晴れていたら早めに起きて美容院に行き、その足で、「同性パートナーの法的保障を考える全国リレーシンポジウム」
に顔を出してみようと思っていたのだが、11時に目覚ましをかけて起きてみたら、あいにく雨が降っていた。急に家を出る気が失せて、寝直す。
それでも、卒業式に備えてヘアカットにだけは行っておかなくちゃと、夕方になって雨が上がったので、美容院に行く。「運動より身づくろい」というのは顰蹙ものだろうが、まあ、本音を言うと、
ぼくは「同性婚」とか「ドメスティック・パートナー法」というのにはそれほどの関心をもっていないので(「婚」より、「DP」の方がまだましだとは言え)、
雨の中を出向くほどの熱心さがないのだ。それに、たぶん、ある日突然「恋敵」となって以来、15年間絶交状態にある(元は友だちだった)レズビアンも来ているに違いないと思うと、
ますます気が進まない。
まあ、雨が降ってくれて(「口実」ができて)よかった、のかも。
美容院を出て、久しぶりの難波を歩く。おそらく「ポイント2倍セール」をやっているだろうと、タワーレコードに入ってみる。やっぱり。
あまりバカ買いをしないように気をつけて、
カール・ベームが1956年に録音した「フィガロの結婚」を買う(ザルツブルグ音楽祭55年ライブの「レクイエム」も)。モーツアルト生誕200年を記念する録音だが、
こちらはPHILIPS録音でモノーラル、一方、55年のDECCA録音「コジ・ファン・トゥッテ」はステレオだ(やっぱり、DECCAの技術はすごい。ほかの会社がステレオ録音を始めたのは、
やっと1958年)。
ベームの「フィガロ」は、これで7種類目か、8種類目。
今夜もNaoから「ドライブコール」が入る。きょうもこれといった当てがあるわけでもなく、中央環状線をドライブした後、難波近くの松屋に入る。経費節約ということで、それぞれ290円。
もっとも、Naoの言うとおり、松屋のチキンカレーは値段に似合わずなかなかいける。
「OGCにゅうす」の印刷発送作業。河村くんは風邪がひどいみたいで、ものすごい声をしている。治りかかったぼくより大変そうだ。あすのシンポジウムのパネリスト、こんな調子で大丈夫なんだろうか?
と心配になるほどだ。ぼくだったら、それを「口実」に、すっぽかしてしまいそう。
熱田さんも体の方がいろいろ大変のようで、医者とのやり取りをあれこれ聞く。
きょうの作業は、あちこちに寄る予定があったから車で町に出た。作業が終わると、まず、古本屋に寄る。『トランスジェンダリズム宣言』が出ていたので、いまごろ?と言われそうだが、とりあえず、
買う。数人のトランス当事者が執筆した本で、2年以上、3年近く前に出たものだ。
次に、御茶屋さんに寄って抹茶と煎茶を買う。それから、リバティおおさかに向かう。
「OGCにゅうす」の購読料を払い忘れていて止まってしまったので、2年分払いますからよろしく、とのFAXをもらったから、郵送してもよかったのだが、
まさくんの大学の先輩にあたる学芸員に直接手渡そうと思って持参したのだ。遡って払ってくれるらしいから、止まったときのから後、きょう刷り上ったばかりの「にゅうす」も一緒に封筒に入れて、
会いに行った。
が、あいにく不在だ。若いイケ面くんに、渡してくれるように頼む。
腹が減ったので、Naoとときどき行っていたインド料理の店で、チキンカレーを食べる。
本日一回目の食事だ。
まさくんから留守電とメールが入る。「あしたのシンポジウム、どうします?できたら、一緒に行きませんか?」と言うのだ。ぼくとしてはそれほど気乗りしないイヴェントだったのだが、
彼が「一緒に」と言うなら、行こう。
ただ、卒業式が間近に迫ってきたから、ヘアカットにも行っておきたい。パーマがだいぶ伸びてきてしまっているのだ。両方に行くとなると、時間調整が難しいから、
直接会場で落ち合うことにする。
まさくんは、リバティの学芸員と自立支援法の勉強会に行っていたようだ。学芸員がリバティにいなかったわけだ。あすのシンポジウムにも、
二人で行く予定にしているという。体調の方は、大丈夫なのかな?
学年末テスト、きょうはNaoのクラスだ(ぼくが担当する1年は、彼のクラスだけ)。人数が少ないこともあって、あっという間に採点を終わる。ぼくの関係するテストは、
これですべてが終わった。採点も通信の再テスト2、3人を残すだけだ。
学校が終わると、Naoから「二色浜に行きたい」という電話がかかってきた。ええ?また・・・?
気分転換したくなるような何か「事件」でもあったのだろうか?「原稿書かなアカンから、短めにしてや」と念押しして、車を出す。
いつものように取り留めのない話をしながら、
走り慣れた湾岸線を南に向かう。特別な話をしたわけではないから「事件」があったかどうかはわからないが、ただ単に夜の道路をドライブするだけで、なんとなく気分が紛れるのかもしれない。
ただ、ほかの車の走りようにぶつくさ文句を言っている様子からすると、ちょいと苛ついているような気もする。どうも最近、ぶつくさが多い。
さすがに、冬の海にやって来る暇人はいないだろうと思いきや、ぼくたちのすぐ前を二人連れの男女(?)が浜に向かっている。だが、海に来たのは、ぼくたち4人だけ。静かだ。
Naoは貝殻を集めようと波打ち際まで歩いて行って、携帯電話のライトで照らしながら綺麗そうな貝殻を集める。ときどき、この子は「ロマンチック」なことをする。
いつものように、空港と連絡橋、高速道路辺りの夜景を携帯ムーヴィーに納めて車に戻る。帰り道で熟睡するのも、いつものとおりだ。家の前で起こして、「おやすみ」。
ドライブから帰り着いて、「OGCにゅうす」の原稿を書き始める。だが、発送作業はあすなのに、今月はいよいよもって書くことがなくなった。なくなった、というか、思いつかない。筆が進まないのだ。
表紙と裏表紙だけはペンを走らせたものの、いつまで経っても中身が思いつかない。一度くらい「白紙のにゅうす」を出してみようかとも思ったが、印刷ミスだと思われるだけだろう。
たまたま、今年の米・アカデミー賞ノミネート作品についてレポートした毎日新聞の記事がコピーしてあったから、それと、「日記」&「映画観てある記」に載せた
「白バラの祈り」感想文をプリントアウトしたのを貼り付けて、「4ページ立て」をでっち上げる。今までで、一番ズボラな「にゅうす」だ。
おかげで、早々とベッドに入ることができた。
きょうの試験は、1年と2年の通信制科目。3学期まで落伍せずに残っていた生徒は少ないので、採点はあっという間に終わる。成績伝票も完成
(2年で、一人だけ欠席した者の再テストが残っているが)。
学校終了後、Naoから銭湯に行きたいとの連絡が入って、「祥福の湯」に行く。
銭湯から帰ってくると、まさくんから留守電が入っていた。ほかのホームページは開くのだが、「Hiro-peeの寝床」だけ、どうしても開かないという。
そんな奇妙なことが起きるんだろうか?という気もするが、検索で「寝床」を探し出してクリックしても掲示板の「ホームページに戻る」をクリックしても、表示されないという。
本体とは別のサーバーである掲示板は表示されるということだから、レンタル・サーバーの問題だろうか?18日のサーバー・メインテナンスの後から、そんな状態になってしまったらしい。
メインテナンスが逆効果だったのか?そんなことがありうるのか??
だが、ぼくのコンピュータでは以前と変わらず見られるので(Windowsのどのブラウザでも、Linuxでも)、
河村くん、熱田さんのところではどうなってるんだろうと、とメールで訊いてみる。
まさくんには、「システム復元」をやってみたら?と言ってみたのだが・・・。
それとも、インターネットオプションのセキュリティ設定で、「拒否するページ」に勝手に登録されちゃったとか・・・。いつも熱心に見ててくれたのに、なんとも困ったことだ。
卒業判定会議。補講を抱えていた生徒がその後どうなったかの報告を聞いて、「本判定」はすんなりと進む。判定会議を早めに済ますことが出来たから、
前回継続となった、新入生から徴収するお金の集め方についての臨時職員会議に切り替える。
こちらも予想したとおりに、短時間で決着がつく。前の会議で言いたいことを言った人は、
それで気が済んだということなのか、継続審議となったものを再開すると、たいていはスッと行くものだ。
だが、これで今月の「議長」は終わったと思ったのも束の間、
卒業式で校内表彰を受ける生徒の名簿を承認するというのが残っていた。と言うか、ぼくを含めた卒業学年の担任団が、提案することを忘れていたのだ。終わったはずの「議長」、もう一回、か。チェッ。
学年末テスト、3時間目は通信制2年の国語表現だ。出題者として教室を回ってみると、2時間目の試験は受けていたのに3時間目になる前に帰ってしまったという者が4人もいた。 「けしからんな。不認定やな」と宣告して教室を出る。
授業後、Naoと「うどん道場」に行く。きょうもカッコいい店員は不在。
長引いた風邪も、そろそろ終わりにしたいものだ。医者もそう思っているようで、ときどきはまだ咳き込むものの、きょうは点滴なしで薬だけもらって帰る。
きょうは授業も学年末テストもなし。あすの卒業判定会議に備えて、判定資料を作る。ぼくのクラスは5人だけだから、すぐに終了。
体調は万全ではないが、まさくんに「ヴァレンタインのチョコを持って行くよ」とメールする。学校が終わってからマンションに寄ってみると、
電気が消えていてお留守のようだ。ポストに入れてこようかとも思ったが、ちょいと味気ないような気がして、そのまま持ち帰る。
と、家に帰り着いたころにまさくんから電話がかかって来る。
食事を摂りに出ていたのだという。「お風呂に行きましょう」と言うから、弁当を食べ終わってから迎えに行く。
が・・・、マンションには電気がついてないし、ノックしても出てこない。
どうしたんだろう?と、公衆電話から電話してみると、堺東駅前のロータリーで待っているのだという。な〜〜んだ。
駅前ロータリーで落ち合って、「さらさの湯」に向かう。きょうは早めに来たから、
十分に時間をとってゆったりとくつろげた。こっちの方はお湯がぬるめでちょうどいい加減なのだが、祥福の湯の方が広くて湯槽の種類も多い。一長一短、か。
たっぷり温泉を楽しんだところでチョコレートを賞味してみようと、まさくんお気に入りのパスタ屋さんに行ってみる。すでに夜中の1時を回っていたが、
ここは夜遅くはバータイムになっているのだという。どうやら電気を落として閉めているような雰囲気だったが、ドアをコンコンしてみるとマスターが出てきて、「かまへん、かまへん」
と招じ入れてくれた。「2時閉店」ということになっているが、「もう、来ないだろうと」閉める気分になってたみたいだ。アバウトな感じが、いい。
ここの店先には「バリコーヒー」という看板が出ていて、まさくんの家から帰る途中に前を通るとき、いつも気になっていた。ぼくはコーヒー嫌いだが、
「バリコーヒー」という言葉の響きが気になったのだ。店の名前とマスターのことはまさくんの口からよく聞いていたものの、この店がそれだったとは。
店内はエスニックっぽくあちこちに布を垂らして、柔らかく落ち着いた感じを醸し出している。コーヒーは嫌いだが、ものは試しと、「バリコーヒー」(&デザート)を頼んでみる。
変な刺激っぽさがなくて飲みやすい。
普通の店なら、外からお菓子を持ち込んで食べるなんて許されないことだろうが、これも「かまへん、かまへん」という感じでOKをもらう。
風邪が長引いていて「本命のチョコ」を買いに出られなかったので、ダイヤモンドシティの阪急百貨店に入っているアンリ・シャルパンティエのを買ってみたのだが、
アーモンドにコーティングしてあって見た目は綺麗にしつらえてあるものの、肝腎のチョコの味としてはイマイチだ。同じのを食べたNaoは気に入ったようだが、見た目にごまかされている。
口直しが必要、か。
閉店時間を過ぎてものんびりと話し込んで、店を出たのは2時半を過ぎていたか。相変わらず咳はひどかったが、今夜も楽しいひとときを過ごせて、
一週間の遅れのハッピー・ヴァレンタイン・デー。
咳はまだひどいが、今週も休み続けるわけにはいくまいと、学校に行く。
事務室にいるとNaoがやって来て、「久しぶり・・・」と言いながら抱きついてきた。
確かに、先週はほとんどドライブに行ってないから、「久しぶり」ではある。
今夜は、ジョリ・パスタに行く。
ホームページの「日記」、やっと1月分を最後まで書き上げる。なんと、20日の遅れだ。
ヤフーのオークションでゲットしたZennheizerのイヤフォンが届く。早速、聴いてみたが、じつに素晴らしい。これが1000円でゲットできたなんて、興奮ものだ
(定価は4000円〜5000円くらいか?)。
大阪に来て、初めて自分の金でオーディオを買おうとしたとき、ぼくは、たまたま「ニノミヤ5」というオーディオショップに入って、
当時、特別嘱託(?)として在籍していた河野さんというオジサンに装置の構成をすべて考えてもらったのだが、そのとき、「もし、ヘッドフォンを買うなら」
と彼が勧めてくれたのが、Zennheizerだった。当時1万円くらいだったかと思うが、「ソニーが真似しようとして、これを100本輸入して分解してみたが、とても歯が立たなかった」
というダントツの優れ物だと言っていた。2万出しても、3万出しても、これ以上のは手に入らないと。
結局、ぼくはヘッドフォンは買わなかったのだが、27年後にイヤフォンを買ってみて、
河野さんの言葉が正しかったことを悟る。これがイヤフォンの音だとは思えないほど、広がりと力強さ、透明感がある。
ラッキー、ラッキー。
夜、Naoから「どっか行こう」コールが入る。ひどく咳き込んでみせて、断わる。
右目からも目やにが出るようになってしまった。やはり、目薬を買ってくるべきだったか。
『部落解放』原稿。なんとか完成して、e-mailで送る。「ブロークバック・マウンテン」に関する記述がなんとなく中途半端になってしまったような気もするが、もう一度見直してから、 考え直してみようと思う。
またもや、お気に入り卒業生から「飯食いに行こうや」コールが入る。学校の時間帯にかかってきたところをみると、休んで寝ていることを知っていたのか、一度学校にかけてみたのか?
まだ治ってないから、ということで、もう少し待ってもらうことにする。何度も申し訳ない。
ずっと寝ていたからか、左目から目やにやら涙やらが出てくる。鏡を見てみると、充血しているようだ。結膜炎にでもなったのか?
風邪から始まって目にまで来たなんて、生まれて初めてのことだ。
あいにく目薬を置いてないので、電気分解整水器の酸性水で洗ってみる。
風邪がなかなか治らない。医者はそろそろ治るだろうと考えているみたいだが(薬を5日分出しておくと言う)、咳が止まらない。月曜日と同じように、
「しんどいようでしたら・・・」ということで、抗生物質を点滴してもらう。
点滴したんだから、目に見えて楽になるだろうと期待したのだが、それほどでもない。ちょっと、期待外れ。
きょうは職員会議が予定されていたので、出勤して議長を務める。簡単にさっさと終わるつもりでいたのだが、新入生から徴収するお金に関する提案に対して異論が出されたために、 意外と紛糾(?)して、継続審議→臨時職員会議ということになってしまった。当て外れ。
きょうの授業はNaoのクラス。「風邪がひどいから明日は休むよ」と予告して、テスト範囲のプリントを返却する。今度は、予告どおり休もう。
『部落解放』の原稿を書くにあたって、「寝床」の掲示板で教えてもらった町山智浩さんのブログを読んでみる。
ぼくが試写会を見てなんとなくしっくり来なかった理由が、少しわかったような気がする。
「ゲイ・フィルムではなく、ただの西部劇だ」という指摘は、当たっているかもしれない
(彼は「ゲイを描いた異色西部劇ではない」「正統派現代西部劇だ」という言い方をしているが)。「『 男の友情』に殉じるカウボーイ」を描いた「ホモソーシャルな映画」
という一面があるのは確かだと思う。
きょうは会議もないし、授業も卒業を目前に控えた3年の日だから、もう最終授業は終わっている。休んで、一日中、寝る。
『部落解放』の原稿が大幅に遅れているからなんとかしなければいけないのだが、こんな体調では思うように筆が進まない。はじめの数行を書いてみるには書いたけれど、
すぐに行き詰まってコンピュータを閉じる。今月は、「ブロークバック・マウンテン」と斉藤靖紀くんの講演をからめて、「ゲイのライフ・スタイル」について書けたらいいなと思っていたのだが、
風邪で講演会に行けなかったから予定を変更して、「DEAR WENDY」と「ブロークバック・マウンテン」を軸に、「男らしさの病」について書いてみよう。
ちょうど、
チェイニー副大統領が狩猟中に誤射事件を起こしたというニュースが入ってきたから、「銃社会アメリカ」の奥底にある「マチズモ」と「恐怖心」の問題に関連付けて書くのも面白いかもしれない。
今朝の夢には、新庄くん、Nao、まあくんが登場してきたような気がするが・・・(うろ覚え)。何かいいことがあるかしら?
きのうは休んで一日中寝ていたが、きょうは出勤して「議長」を務める。1年生2年生の進級に関する仮判定会議だ。
形式ばったことが好きな教師の提案によって、
数年前から「仮判定会議」なる代物が始まったのだが、判定を下す前に「予審」をすることで、不認定になるはずの生徒が救われるとか時間数補講・成績補講の分量が軽減されるとか、
何かの変化が生じるならともかく、途中経過の一覧表が出されて「なるほど、こんなに一杯補講を抱えてるのか」と確認するだけなんだから、まったく意味のない会議だ。
卒業のための仮判定会議と同じく、きょうの会議も滞りなく終了。
Naoと「うどん道場」に行く。が、カッコいい店員は、きょうもいない。辞めてしまったのか?
きょうは、G-FRONT関西が企画した斎藤靖紀くんの講演会に行くつもりにしていたのだが、こんなに咳がひどいんでは無理だ。
斎藤くんにはまだ会ったことはない(と思う)が、
かつて、『アンチ・へテロセクシズム』の最後に載せた書き下ろし文章(「嵐の死を超えて」)の〆のところで、彼の発言を引用させてもらっていたから
(「自分の生活している環境の中で、少しずつゲイの理解者を増やしたい。僕は"草の根"作戦の方が絶対有効だと思っています」)、12年後の彼が、いま、
どんなことを考えているのか、聞いてみたいと思っていたのに、残念だ。
きょうも一日、寝る。
きょうは、一日中寝て過ごす。この間「飯食いに行こうや」と言ってきた卒業生から、催促の電話をもらったが、風邪がひどいからということで遠慮してもらう。
「治ったら電話するよ」(いつになることやら・・・?)
Naoからも「カレーうどん食べたい」との電話が入ったが、こちらも断わって、ひたすら寝続ける。
「あの人(『うどん道場』のカッコいい店員)のうどんを食べたら風邪も治る、て」とかなんとかしばらく粘っていたが、電話中にひどく咳き込むのを聞いて、諦めたようだ。
いくら「改源」を飲んでいてもいっこうに治らないので、医者に行く。熱があるわけでも、頭が痛いわけでも、吐き気がするわけでもなく、ただ咳がひどく出て喉が痛いというだけのことだが、
この咳が相当ひどいのだ。
熱は微熱程度なので、医者の見立ても風邪でしょうということで錠剤の薬が出た。早速、飲んでみる。なんとなく楽になったような気がする。さすが、
薬局の薬よりよく効くわいと思ったが、夜になるとまたひどく咳き込むようになった。医者の薬を飲んでも、悪くなる時期には悪くなる、ということか。
きのうは、
Naoのクラスの授業を終わるときに「あしたは休みますッ! 」と宣言してきたのだが、昼間の間は少しましになったような気がしたので、出勤する。だが、
「よくなった」ように思ったのは錯覚だったみたい。予告どおり休んでおけばよかった。
Naoも風邪が治らないようで、きょうも元気がない。きのうに続いて、漢字のドリル。
『部落解放』の担当編集者から、新庄くんと一緒に写った写真が届く。去年、あるお宅でパーティーがあったときに撮ってもらったものだという。このままうまいこと親密度を増してくれるといいんだけど (いつか、余禄がぼくのところにも・・・)。
喉の痛みがひどくなってきたので、試写会はパスする。ジョニー・デップ主演の「リバティーン」という作品で、ジョニーがかなり乗り気になっている作品だというから是非観たかったのだが、残念だ。
堺市が政令指定都市に移行するに当たって、市立高校の再編問題がどんな具合になっているか市教委から説明に来るという。どうせたいした話は出ないだろうとは思ったが、
とりあえず話だけでも聞いてやろうと、顔を出す。
数年前に、商業高校(全日制)を中高一貫の総合学校に改編&定時制の商業高校をうちの敷地に持ってきて合併させるという「改革案」
を公表したのだが、その後、市長から横槍(?)が入って凍結したままになっている、らしい。その後、名案が浮かんだという話も聞かないから、その話はナシになったのだろう。
きょうの「説明」を聞いても、何も進んでいないことがわかっただけだ。
市教委から担当が3人もやって来て経過説明をしたのだが、時系列に従って「○○の会議を開きました」
「××の会議をしました」と言うだけで、その会議でどんなことが話され、その結果、どんな方向に向かいつつあるのか、といった肝腎の中身は見えてこない。
こんな状態で、政令指定都市になれる能力が堺市にあるのか。はなはだ疑わしい。
質問は?と聞かれたから、すぐさま手を挙げて3点質問をした。
「大阪の自治体はどこも音楽ホールを持っているのに、堺市にはない(じつは大阪市も、自前のホールは持ってないのだが。民間の優秀なホールに頼りきり)。
このことに象徴されるように、堺市の文化施策は非常に貧しい。政令指定都市になるからには、自前の大学くらいもっていてもおかしくないし、当然、高校ももっているべきだ。
財政難という話ばかり聞かされるが、そんな状況にあっても市立の高校を堅持するという決意をもっているのかどうか」「他市の中高一貫校をいろいろ研究したということだったが、
その結果、どのような『評価』を下したのか」「いままで(=中学と高校が別)だったら、校風や教師と折り合いが悪い生徒でも3年我慢すればなんとかなったが、
中高一貫校になると6年間耐えなければならないことになる。そういった問題については、どのように考えているのか」
返って来た答えも、中身があったとは言えないが、それでも、
「堺市に高校は必要だと考えている」との言質は引き出した。中高一貫校に関しては、「可能性がなくなった」とは言わなかったものの、感触からすれば、ほとんど消えたも同然のような感じだ。
校風や教師と合わない生徒の問題に関しては、確かにそういう面も考えなければいけないと答えた後で、視察した他市の場合は進学校として高く評価されている所ばかりで、
「学校に合わない生徒」というのは想定していないようだ、との答えが返って来たのが面白かった。どうやら、他市では、ぼくたちが問題とすべきことがらには関心を持っていないようだ。
やっぱりね・・・。「エリート」のことしか眼中にないということだ。
「文部科学省からは、選択肢の一つとして中高一貫校を考えるように、と言われている」との答えも返って来たから、間髪入れずに
「堺市立の高校が10校も20校もあれば、『選択肢の一つ』と言えるが、たったの4校しかないのに『選択肢の一つ』とは言えないでしょう」と突っ込むと、その通り、といった顔でうなずいていた。
ほかの教員からもいろんな意見が出されたが、「府立の定時制高校などと比べると、府立では考えられないほど本校はいい具合に行っている。何も手を加えないで、このまま行ってほしい」
という意見も出た。ぼくは他の府立高校のことはほとんど知らないが、下手に「改革」などしない方がいいという意見については、たぶん、その通りだと思う。
ぼくは最後に、
「いままでの市教委は小中学校のことばかりで手一杯で、高校のことを何も知らない状態だった。これを機に、頑張ってほしい」と釘を刺しておく。後で、校長が「驚いたわ」と言ってきたが、
あれくらいのことで驚く方がおかしい。平教員は市教委の担当者と直接話をする機会が保障されていないんだから、こんなときに言いたいことを言わないでどうする?
もう少し上の役職に就いている者に言ってやりたかったくらいだ。課長程度では物足りない。
Naoのクラスの授業。喉が痛くて大きな声が出せないから、漢字の書き取りプリントをやってもらう。「あんまり、質問せんといてな」とは言ったものの、やはり、
まったくしゃべらずに済むというわけにはいかない。
でも、生徒たちも気を遣ってくれたみたい。
Naoも風邪を引いたようで、元気がない。それとも、
彼女に会えないから元気がないのか?
夜、喉飴を舐めていたら、なんと、なんと。前歯の裏が少し欠けた。
残り少なくなった飴をかじっていたら、何かガリガリと歯に当たる物がある。舌でなでてみると、
歯の裏に段差ができている。
飴で歯が欠けるなんて・・・。唖然。
喉の痛みがひどくなってきたから、試写会はパスして出勤時間ギリギリまで寝る。卒業試験の採点。通信制、定時制とも終了。
家に帰ってダラダラしていると、まさくんから電話が入る。お風呂に行きませんか?という電話だ。「リラクゼーション」を欲しているのだろう。
きょうは「さらさの湯」に行ってみようと思ったのだが、駐車場に車を入れて玄関まで行ってみると、入場受付は11時で終了とある。こんなに早く終わっちゃうなんて・・・。
「祥福の湯」にしようか「さらさ」にしようか、迷っている間に時間をロスしてしまったのか。仕方なしに「祥福の湯」に回って、前回同様、午前2時の閉店時間までくつろぐ。
その後で、腹ごしらえをしようということで(ぼくは晩御飯を食べた後だったけれど)、朝までやっているファミリーレストランに入って、
最近のまさくんの状況を巡っていろいろ話し込む。
精神的にしんどくなっている理由について、ほかのスタッフと話し合ってみたいとは思うものの、
いまの状態でうまく伝わるように話すことは難しい。だが、いつまでも、このままにしておくことも出来ない。そんなジレンマが、まさくんをさらにしんどいところに追いやっているようだ。
具体的な話としてはぼくにもわからない部分があるけれど、ぼくはスタッフとメンバー(=利用者)の関係性を、オーケストラの指揮者と楽員の関係に例えて話してみる。
すべてがピッタリ重なるわけではないとしても、たぶん、ある部分は重なるところがあるだろう。
ただ、困るのは、職員がわずか数人しかいない彼の職場では、
体調がよくなるまでゆっくり休むなんて、しにくいということだ。でも、無理はしてほしくない。無理をしたら、ますます悪くなってしまう。
Naoから、「あす、あさって、梅田に迎えに来て」と頼まれる。が、試写会の予定が入ってたんだった。夜、断わりの電話を入れる。
きょうは「相談電話」が3件も入る。大々的に「相談」の看板を出しているわけではないから、一日に3件も続いてかかってくるのは珍しい。
エイズ関係、出会いの方法について、自分のセクシュアリティについて。
夜のニュース番組は、どこも「紀子さま御解任」の話題でもちきりだ。生まれる前から、今度は男の子が出てくるに違いないと信じ込んでいるような論調が、哀れなほどに滑稽だ。
ぼくにとってはどうでもいいことだが、「皇族のY」は衰弱していて、すでに、男子を産み出す力を失っているような気がする。「血」を重んじるあまりに同族婚やら近親婚
(もしくは、「上流階級」内部のパズル)を繰り返してきたために、有性生殖・異種交配のダイナミズムを自ら棄ててしまったのだから、自滅するのは当然のことだ。
男の子が生まれれば、雅子さんがプレッシャーから解放されることになるのか、「用済み」として疎んぜられることになるのか?ぼくの関心事はその一点のみだ。
「ブロークバック・マウンテン」試写会。今年度のアカデミー賞に8部門でノミネートされているとか、はじめは数館のみでの上映だったのがあっという間に上映館を増やして、
その収益も記録的だとかいうことで、話題沸騰の作品だ。マチズモが幅を利かす「ブッシュのアメリカ」にあって、「男らしさ」の象徴のようなカウボーイの間に交わされた愛を描き出した作品としても話題を呼んだ。
そういう前評判もあって、宣伝にも力を入れているのだろう。「完成披露試写会」と銘打っているけれど、お客の顔ぶれから言えば「マスコミ試写」、そのために600席のリサイタルホールを借り切るなんて、
大阪でこれほどの大掛かりなマスコミ試写をすることは(たぶん)珍しい。
その評判作を見てみて、う〜〜ん。どこか、ぼくにはしっくり来ないところがある・・・ような気がする。
確かに手堅く作ってあるとは思うのだが、正直言って、そんなに騒がれるほどのものかな?という気はする。アン・リー監督の物だからべた褒めされてるんじゃないの?という、
アドモドバル作品ならどんなものでもべた褒め状態だというアメリカ映画界の状況に通じる疑問を感じないでもない。
ただ、そういう疑念とは別に、ここで描き出されたテーマはすこぶる興味深い。
幕開き、「ワイオミング州」と出る。ああ、マシュー・シェパードくんの事件があった州だと、とっさにあの惨劇を思い出す。マシューくんが案山子のようにフェンスにくくりつけられたまま、
撲殺された事件だ。確か、寒い季節だったと記憶する。
物語は、二人のカウボーイ、イニス・デルマーとジャック・ツイストが、職を求めてボス
(無認可で羊の放牧をやっているヤツらしい)のところにやって来たところから始まるのだが、ボスの事務所(キャンピングカーの中)
に入ろうかどうしようか、互いの様子をうかがいながらモジモジしている二人の様子が、ぼくにはハッテン場で男漁りをしているように見えてきて、思わず苦笑してしまう。
特に、ジャックの挙動が、「ハッテン場様式」そのものだ。
だが、二人とも、自分のセクシュアリティに関しては、あまりにも無自覚だ。「同性愛」「ゲイ」などという言葉(概念、存在)さえ、
彼らにはないも同然。自分でもわからないまま、体の中から湧き上がってくる激情に引きずられていくだけだ。
ブロークバック・マウンテンでひと夏を過ごす間に、
二人の関係は次第に近づいていって、ついには愛し合う間柄にまでなっていくのだが、観ている側としてはじれったいくらいに不器用というか、素朴だ。「愛」のメッセージを交わす前に、
体を求め合う(しかも、突然、アナルセックス)というのも、無邪気というか荒っぽいというか。「短絡的だ」と批判的に言う人がいるかもしれないが、
彼らは、自分たちが惹かれ合っているのだということを自覚できないほど「無知」だったのだから、仕方がない。自分たちの行動を、「これは若気の至りだったのだ」
(あるいは、「欲求不満が爆発しただけだ」)と解釈することしか、彼らには理解する術がなかったのだ。
だから、夏の仕事が終わってそれぞれの地元に帰った彼らは、何の疑いもなく、結婚をする。
「偽装結婚」などという概念も、彼らの中には微塵もない。ある意味幸せだとも言えるし、ある意味、不幸を招く行動でもある。自分たちの心は妻に向かっているのではなく、
ひと夏をブロークバック・マウンテンで共に過ごした男にあるのだと悟るのは、四年後に再会してからのことになる。
彼らの二十年間は、アメリカにおけるゲイ・リブの歴史とある部分重なるのだが、
そのメッセージは彼らの元には届いていない。「仲間」と出会うチャンスにも恵まれず、ゲイ・アイデンティティともゲイ・プライドとも無縁のまま、保守的な土地で、二人だけでもがき続けるのだ。
サンフランシスコやロサンゼルス、ニューヨークといった「御馴染みのアメリカ」とはまったく別の世界が、ここでは展開する。観るのも辛い現実だ。
彼らは二十年にわたって、家族の目を盗みながら仕事の合い間を縫いながら、数年に一度、年に数回の逢引きを重ねていくのだが、最後は、マシュー・
シェパードくんの事件を想起させるような悲劇となって幕を閉じる。残されたイニスは、ジャックの遺品を胸に、一人生き続けて行くことになる。切ない物語だ。
イニスの行動が、妻の不安・動揺に対してあまりにも無神経ではないかと苛立つところも多々あったけれど、こんな風に「無自覚なゲイ」というのはあちこちにいるような気もしてきて、
かえってリアリティがあるとも言えそうだ。彼らを「ゲイ」と名づけていいのかも迷うほどに、彼らの行動は素朴だ。
このように、ゲイとノン・ゲイというのは「境界線」
で区切られるようなものではなく、地続きなのだという事実を明示した作品として、「マッチョ・アメリカ」にショックを与えることになるだろうと思うと、じつに興味深い。ぼくはかつて、
お気に入り教員まあくんから「ゲイの世界には興味がないので、先生のお気持ちにはこたえられません」という言い方をされたことがあったけれど、「お気持ちにこたえられない」
ことを明らかにすること自体は正しい態度だとしても、「ゲイの世界」などという物言いが気になって、彼に手紙を書いたことがある。ゲイの中にも「この道」とか「こっちの世界」
といった言い方をするバカモノがいるが、そんな「世界」は存在しない。なにしろ、ほとんどのゲイがクローゼットのままでいるのが現状だ。そんな状況で、
「ゲイの世界」などという確たる「世界」が存在するわけがない。
ゲイの側にしても、ノン・ゲイの側にしても、「線」を引くことでわかったような気になるのは愚の骨頂だ。
というわけで、ぼくはこの作品を「ゲイ・フィルムを楽しむ」といった呑気な気分とは少し違った立場から観て、あれこれ考え込むことになった。3月中旬には大阪でも公開されるが、
どんな反響を呼ぶか、興味津々だ。
試写会を終わって学校に向う途中、天王寺駅のホームでNaoに会う。
いつものように先頭車両を避けて2両目か3両目に乗ろうとホームを移動していると、
かわいげな男の子が目に入ってきた。その列の後ろに並んだところ、その子の隣にNaoが立っていたという偶然の「遭遇」だ。そのかわいげな子とNaoは中学時代の連れだったみたいで、
その子を挟む形で、両側にぼくとNaoが座る。
Naoがきょうもカウンセリングを受けたいと言うから、ぼくは「授業、サボりたいんとちゃうん?」と軽くからかってみる
(返事なし=図星?)。「授業始まるギリギリ前までミーティングしてるから、少し後で保健室に行って、カウンセラーの予定を聞いてな」と言っておく。
教育相談係のミーティングでは、生徒が相談に来たときの授業出欠処理の件が話題に上った。
先週、Naoが相談に来たとき、教科担当にはすぐに連絡が入れられたのだが、
学級担任がすぐにつかまらなくてそのままになっていたのを、教科担当のほうから学級担任に話が伝わって、「学級担任は連絡してもらえないのか?」とおかんむりになったという「事件」があったのだ。
授業担当、学級担任に知られたくないという生徒がいる可能性もあるから、いろいろなケースを想定して、係としてどのような連絡体制を考えるべきか、相談する。一旦は、
2日の職員会議で「連絡票」を示したのだが、もう少し慎重に検討しようということになって、引っ込めたのだった。
話のついでに、Naoがきょうも希望していることを伝えたが、
緊急性があるわけでもないようなので、ときどきは「間」を空けた方がいいのではないかということになる(実際は、相談係のミーティングの最中に保健室に行って「閉まっとったから、
きょうは止めにした」という。→Nao「ちょっと後でおいで、て言っといたやんか」)。
お昼前。そろそろ起きなきゃ、と思っていたところに電話がかかって来た。またNaoかな?と思いつつ受話器を取ると、先日、Naoと銭湯に行った日に顔を見せてくれた卒業生だ。
約束どおり、かけてきてくれたのだ。
「オレの電話番号教えとくわ。また、電話してきて。飯、食いに行こうや」と言うので寝ぼけ眼で番号をメモして、ハイ、ハイと答えておいたが、
じつは、こっちから電話するのはわりと苦手だったりするんだけどな。いつになることやら・・・。知〜〜らん、と。
OGCの例会。今月は、美形お気に入りクンから欠席する旨の連絡をあらかじめもらった。ということは、参加者は3人だけかな?と思っていたら、その通りになった。先月、
ぼくがリクエストしておいた「ホンマモンの金平糖(緑壽庵)」をQWRCのスタッフさんが買って来てくれたので、日本で一軒だけの手作り金平糖をいただきながら、のんびりとおしゃべりに興じる。
河村くんが『Newsweek』(1月25日号)を持ってきてくれたので、パラパラと読んでみる。表紙に大阪府議・尾辻かな子さんと会社員・網谷勇気くんを載せて、「日本の同性愛者」と題する特集を組んだ号だ。最近、
ぼくは本屋にほとんど入らないから、こんなのが出ていたことなど、まったく知らなかった。日本のマスコミは何年ごとかに「同性愛特集」を組む習性があるようだが、
今回はレイザーラモンHGが巷で話題を呼んでいるところから出てきた特集なのだろう。
今までの特集と特に変わったところもないようだが、全体的には理解が進んできたというか、
的外れなことは言ってないようだ(文章構成がちょっともたついているが)。ただ、時代の変遷に合わせて「新しい人」の発言が紹介されている部分があるかと思えば、
相も変わらず伊藤文學に話を聞くコーナーがあったりと、ちぐはぐな面がないでもない(このコーナーで、『薔薇族』がふたたび廃刊になったことを知る。このごろ、
「ゲイ業界」の動向にとんと疎くって)。
この特集にも関連して、ときどき持ち出される話ではあるけれど、親との関係性について、話が盛り上がったが、終わりごろには、
「国語教育」「日本語教育」に関わっていろいろ話をした。日本語を使いこなすためのノウハウを修得することにもっと力を注ぐべきだったのに、日本の学校教育では「文学」をやるのか、
日本語教育をやるのか中途半端なままで来てしまったという河村くんの指摘は、もっともなことだと思う。教師の一人として、日本語教育に徹して面白いかどうかはわからないが、
「文学」を生徒に押し付ける(解釈もどきを覚えさせる今のやり方)のもナンかな?とも思う。
あれこれ考えてしまうと、年々「国語の授業」
をすることに懐疑的になってくるのだが、果たして、「解決策」はあるのだろうか?
家に帰り着いてしばしの仮眠をとっていると、ちょうど目覚ましが鳴るころになってNaoから電話が入る。「ドライブ、行こうや」コールだ。ええ?これからご飯食べるところだからダメだよ
(but、ご飯を炊く前)、とかなんとか渋って見せたものの、やはり押し切られて、「ちょっとだけだよ」と念押しをして車を出す。
迎えに行くと、電話で言っていた通り、「ハイ、お土産」とハウスのケララカレーを差し出した。コンビニで買ったのだろうが、ぼくが「合格」を出しているレトルトカレーの中の一品で、
もちろんチキンだ(骨付きチキン入り)。ビーフカレーをぼくが食べないことは、Naoもよくわかっている。
きょうも、
どこに行きたいといった当てがあるわけでなし、とりあえずコンビニに入って飲み物などを調達、近所のケーキ&アイスクリーム&和菓子屋に寄って和菓子とシュークリームを買った後、
湾岸道路を南下することに決めて、関西空港方面に車を走らせる。
「りんくう公園」なる珍奇な公園を歩いてみたが、なんせ、めちゃくちゃ寒い。空港の明かりを写メールで撮ったところで、
そそくさと車に戻って車内でシュークリームをパクつく。食べ終わってすぐに堺に戻ってきたが、中央環状線を市民会館の前あたりまで走って来たところで信号待ちをしていると、
2年の生徒が横に止まった車から声をかけてきた。
助手席から声をかけてきた生徒は最近欠席がちだったようだが、おととい退学届けを出したのだという。2年で一番のお気に入りだっただけに、
ちょいと残念だ。
のんびり昼過ぎに起きて「朝ご飯」を炊いていると、Naoから電話。「たこ焼き、食べたい」「うん。食べに行ったらいいやん」「一緒に行こうや」「今から朝ご飯食べなアカンから、ダメだよ」
「たこ焼き食べてからでいいやん。待ってるから」
というわけで、雪が激しく舞う中、Naoの家に向かう。天気予報が言ってた通り、寒波が戻ってきた。めちゃくちゃ、寒い。
ひどく寒いから、焼き上がるまで車の中で待つ。きょうも表面はカリカリ、中身ジュルジュルの絶妙たこ焼きだ。
いつも、たこ焼き屋に向かう途中に「くるみ餅」の看板が立っているのが気になっていたので、
帰りがけに寄ってみる。女の人が二人でやっている、とっても小さな店だ。出てきた「くるみ餅」はかん袋のものよりくるみ餡の甘さが控えめ、
こちらの方が気に入った。いまのぼくの感覚でいくと、かん袋のは甘すぎるのだ。
白玉餅の歯ざわりはかん袋の方が柔らかくてよかった、とぼくは思ったが、Naoに聞くと、
彼が食べた「氷くりみ餅」の方は、かん袋と同じかそれ以上に柔らかかったという。となると、堺一の名物、「かん袋のくるみ餅」も、「一」から落ちた、かも。
まさくんがいないことを承知のうえで、まさくんの作業所に顔を出す。年度末の確定申告に備えて、寄付の証明書をもらうためだ。証明を出してもらうための「必要事項」
が担当者に伝わってなかったようで、必要な項目を伝えてお暇する。
これで、税金、ナンボ返って来るかな?
「OGCにゅうす」購読料の件で、リバティおおさかに顔を出そうと思っていたのだが、
Naoのたこ焼きツアーのあおりで、行けずじまい。
しかし、これだけ寒いと、オークションでゲットしたガスファンヒーターを点けても、なかなか温まらない。それに、ストーブのように、手をかざして焚き火に当たるみたいなことができないのが、 ちょいと寂しい。何ごとも、一長一短か。
Naoから、「梅田まで迎えに来て」と電話がかかって来る。仕事先の神戸から戻ってくるのに、きょうは親方が電車賃をくれないらしいのだ。
ところが、誰でもわかるだろうと、待ち合わせ場所に大阪中央郵便局前を指定したところ、予想通り、迷いに迷っていたようで、落ち合うまでにずいぶん手間取った。駅員に道を聞け、
と言っておいたのだが、 「すみません、すみません」と言っているのに無視されたとか、「中央郵便局」と聞くべきを「中央銀行」と聞いたとか、まあ、いろいろあったみたい。
まさくんとの待ち合わせには携帯電話などなくても大丈夫だが、Naoとのときにはやはり必要か。それにしても、この子の方向音痴ぶりといったら・・・。
Naoのクラスの授業。テスト範囲として予定していた「漢文」がえらく早く終わってしまったと思ったら、「書き下し文」を板書して見せるのを忘れていたのだった。
「そんなん、書かんでもいいで」「いやいや。やっとかな、試験、でけへんで。問題、もう作ってあるから」「問題、作り直したらいいやん」「めんどくさいがな」などと言い合いながら、
もう一度前に戻って、書き下し文を黒板に書きつける。
いまごろになって、まさくんが21日に送ってくれた「携帯電話なくしました」メールを発見する。糞詰まりメールがどどっと届いたときのどさくさに紛れてて、
目に入ってこなかったみたいだ。
こんなふうに、メールというのは、相手の生活時間を邪魔しない代わりに相手が見たかどうかも確認できにくいということなのだろう。良し悪し、か。
ネットオークションでゲットしたガスファンヒーターが届く。早速、ホースを繋いで点けてみたが、元気に(?)温風が吹いてきて温かい。室温が11℃くらいまで上がっただけでも、
狭い台所では十分なくらいだ。
3800円でゲットできたのは、ラッキー。
今月は職員会議の議長に当たっている(毎月、五十音順で交代)のだが、学校に着くと、校長が気を利かせて「部屋を暖めておきます」とかって、
ぼくより先に議事録やら配布資料やら一式を持って行ってくれていたようだ。楽チン、楽チン。
「議長は気疲れするでしょ」などとも声をかけてくれたが、きょうはこれと言ってもめたわけでもないから、
どうってことはない。(たぶん)ほかの人が議長をするときより、ぼくの議事進行は早い。重要案件でもないことで、ご丁寧にもたついているのが嫌いなのだ。
去年卒業した担任クラスの生徒がやって来て、ホンダ学園に進学したいから調査書を作ってくれと言う。彼は建築科を出たのだが、畑違いの自動車専門学校に行きたくなったらしい。
「出来上がったら、後日、連絡するよ」と答えて、書き始める(「書く」のはコンピュータだけど)。
きょうは映画の日だから、早く起きて「マダムと奇人と殺人と」と「ハックル」を観に行くぞ、と思っていたのに、あいにくの雨だ。それに、頭も痛い。いっぺんに気分がめげてしまった。
せっかく、シネ・ヌーヴォ一館で二本観られるという絶好のプログラムだったのに、残念だ。
その代わり、「雨中洗車」をする。
ぼくはたまにしか車を洗わないから、
埃が車体にこびりついている(たぶん、いや、きっと)。そこで、雨が埃を浮き上がらせてほぐしてくれたころを見計らってスポンジで洗えば、
そのまま雨が洗い流してくれるという寸法だ。他人が見たら、傘差して何をしてるんだと思うだろうが、洗車代が要らなくて、便利、便利。
きょうで、3年生の授業はおしまい。少ない受講生がきょうはさらに少なかったが、最後の「挨拶」を交わして、あとは試験と卒業式を残すのみ。
授業が終わったころ、Naoが「銭湯、行こうや」と言って来る。「ええ?きのうも彼氏と行ったし・・・」と渋ってみせたが、なんとなく、しんどそうな顔つきだ。
久しぶりのタイル屋仕事でしんどいのか、悩み事でしんどいのかはわからないが、気分転換がしたいのだろうと、銭湯に行くことをOKする。
学校を出ようとすると、
数年前の卒業生でぼくのお気に入りだった子がひょっこり顔を出した。少し前に顔を出してくれたときには、Naoのクラスの連中がぼくにあれこれちょっかいを出してきてゆっくり話ができなかったが、
きょうは邪魔する者もなく立ち話ができた。
在学中の「甘さ」より「渋さ」が勝ってきて、ますますいい顔つきになっている。「またゆっくり食事でもしようや」と言ってくれたので、
電話番号を教えて連絡を待つことにする。
ファミリーレストランで腹ごしらえしてから、銭湯に向かう。きょうも、きのうまさくんと行った「祥福の湯」に行くことにする。
コンビニでアイスクリームや饅頭を食べてから「祥福の湯」に行くと、玄関先で退学した元生徒数人と会う。Naoのクラスにいた子らだ
(すぐに辞めた子もいたから、すぐに名前が思い出せない・・・)。きょうは、よく「元生徒」に会う日だな、と思っていたら、浴場でも「元生徒」に会った。
こっちもすぐに辞めた子なので、しばらく話し込んでいるうちになんとなく思い出しはしたものの、名前は最後まで出てこなかった(思わず、「誰だっけ・・・」と言ってしまったが、
聞こえなかったのか、返答なし。「感じ、変わった?」なんてごまかしたが・・・)。きょうは、元生徒当たり日だ。
ぼくは番台でタオルを借りたのだが、洗うタオルとバスタオルのセットを頼んだのに、
ちょっとカッコいい店員が聞き間違えてバスタオルだけを出してきた。きょうは体を洗わない日にしていたので(冬の間は、体が乾燥し過ぎないように一日おき)、ま、いっか、
とそのまま入ったが、やっぱり、タオルがないと前を隠すのに不便だ。なんとも落ち着かない気分で、浴槽をあちこち渡り歩く。
まさくんと来たきのうよりずいぶんダラダラと長湯をしたが、
きょうはイケ面の客が少なかったのが残念だ。サウナから出てきたNaoが手招きするので近くに行ってみると、「ものすごくカッコいい人が出て行った」と言うから指差す方向をうかがってみたが、
鉢植えが邪魔してよく見えない。ほかには目ぼしい客は、ゼロ。
だいぶ早めに入場したと思うが、かなりのんびり入っていたので、出るころには日付はとうに変わっていた。
Naoは寝ないままで新聞配達に出るという。そんなことで体が持つか、心配だ。