| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
51回目の誕生日。
ぼくの誕生日とはまったく関係ないことだが、まさくんの夢を見る。それも、どうやら、彼の実家(?)にお見舞いに行っているような感じだった。
学生下宿風の小さな部屋で、二人、顔を見合わせながら話し込んでいると、お母さんがお茶か何かを持って現れた。タイミングよく、というかタイミング悪く、床にゴミが落ちているのが目に入って、
塵取りでかき集めている(?)ところで、お、まずい、まずい(嫌味でやってるんじゃないですよ。ぼくの家はもっと汚いですから)なんて思いながら、こそこそとゴミを拾う。
なおも話し続けていると、お父さん(?)やらおじさん(?)やらが様子を見に顔を出した、みたい(夢のことなのでうろ覚え)。
と、まさくんがぼくと関係なしに一人でしゃべり出して、「ああ、ちょっと来てるのね」てな感じで、ぼくは彼の様子を見守っていた。
家の外に出てみると、
さっき顔を出したおじさん(隣の家のおじさん?)が、「お兄さんは家庭科がよくできたんやけどなあ」(まさくんにお兄さんはいないのだが)
とこれまた全然関係ない世間話(?)を問わず語りに語り出すという、支離滅裂な夢だった。
まさくんの精神状態がよくないということが、こんな夢を見させたんだろう。
ということで、
「今夜、夕食でもどう?」というメールを打つ。
学校が終わってまさくんのところに行くと、この寒空の中、マンションの下まで降りて待っていてくれた。きょうはどこに行こうという当てがあるわけではないので、とりあえず、
ファミリーレストランに向かう。が、食べ終わってもなんとなく物足りない。そこで、まさくんの友人で食うことに精進(?)しているという人に電話して、お勧めのレストランを聞き出してもらう。
堺の南のほう、岸和田にいいところがあるということで、道順を聞きながら車を走らせる。
迷うこともなく、だいたいこの辺りだろうというところに無事、発見。なかなか凝った作りのお洒落な店だ。
時間的に遅かったせいか、お客はぼくたちだけ。まるで貸し切りにしたみたいな感じで、閉店ギリギリまでおいしい料理に舌鼓を打ちながら、あれやこれや話し込む。
レストランを2軒ハシゴした後は銭湯に行こうということで、堺に戻る途中、祥福の湯に入る。Naoと来るときは2時間くらい入ってることが多いが、きょうはすでに日付が変わっていたから、
入っていたのは一時間ほどか。それでも、体もほぐせて気分も清々、いい休養になった。
ちょうど誕生日の日に、楽しいひと時が過ごせてよかった、よかった。
10年くらい前に卒業した女生徒から「Hiroくん、おめでとう」と電話がかかって来る。「あしたなんだけど・・・」
一日早めのバースデー・コールだ。
去年の年賀状に返事が出せずに終わった事情を言い訳したり、土曜日に彼女のクラスメイトから電話があったことを伝えたり、Naoご推薦のたこ焼き屋が彼女の家の近くにあって、
この間、食べに行ったりといったことをあれこれ話す。
いつもはコンピュータの画面一面に馬鹿でかい字が並んだバースデーメールを送ってくれるのだが、
結婚して家を替わってからコンピュータは使っていないということで、直接の電話になったようだ。
Naoはきょうもスクールカウンセラーに話を聞いてもらったという。彼女がカナダに行ってしまったせいか、やはり、元気がないように見える。授業が終わったころ
「手紙書くから、便箋と封筒買いに行きたい」と言って来たので、ぼくの家の近所の本屋と文房具屋が一緒になった店に連れて行く。
だが、型にはまった面白みのない便箋しか置いてなかったので、
ダイヤモンドシティに入っている文豪具店にも行ってみる。ちょっと高めだが、こっちの方がお洒落な感じだ。ここにはエアメール用の封筒がなかったので、また本屋に戻る。
ぼくは別にエアメール用の封筒でなくてもいいだろうと思ったのだが、初めて外国に手紙を書くNaoとしては、そっちの方がカッコいいと思ったのか。
ダイヤモンドシティ1階のJUSCOで食料品を買ったり、ファミリーレストランで夕食を摂ったりした後、家まで送っていく。
朝の6時半ごろまで原稿を書いていたが、ぼけた頭でいくら考えてもうまくいかないので、一旦寝て、11時に起きて最後の部分を仕上げる。
原稿は間に合ったが、寝不足だからか、
地下鉄の天満橋駅で降りるべきところをうっかり乗り過ごしそうになったし、帰りは帰りで、回数券を改札に通さないまま通り抜けて「ピーピー」言われてしまった
(機械の動きの方がのろかったから、機械にぶつかることもなくすり抜ける)。やっぱり、寝不足はよくない。
毎年、一月の「にゅうす」は大阪女子マラソンの日と重なる。
去年は先頭グループがドーンセンターの前辺りを走っているところに出くわして、さすが、世界のトップクラスの走りは違うと驚いたものだが、今年は後ろのほうの集団なのか、ずいぶん、去年とは感じが違う。
まあ、どっちにしても、ぼくはマラソンににはまったく興味がないんだけど、先頭集団でないだけに、今年はさらにテンションを下げてドーンセンターに入る。
作業中、
熱田さんよりアメリカに行っている佐々木くんからの伝言を聞く。「ホームページの日記を溜めてアップするの、やめて、て言ってたよ」というのだ。まあ、ぼくだって、
溜めたくて溜めてるわけじゃないんだけど・・・。
「ぶいずん前のことを書いてて、なんで、あんなに詳しいこと書けるの?手書き原稿を保存してるの?」という質問も預かってきてくれたみたい。
手書き原稿をストックしておけるくらいなら、アップする方が早いんだけど。手帳に小さな字でこちょこちょこっとメモしておいたのを読み直してるうちに、だんだん思い出してくるのだ
(ときどき、自分で書いた字が読めなくなったりして・・・)。
作業終了後、熱田さんの車に乗せてもらって、扇町に出る。久しぶりに古本屋に顔を出そうと思ったのだ。
車を降りてすぐ、カレーのバイキングをやっている店を見つけて、入る。新しく出来た店だ。味は、まあまあ。たくさん食べられるところが、グッド。
久しぶりの古本屋。なんとなく、近々店じまいするんじゃないか?と思わせるような雰囲気だ。店内に積み上げられていた本の山が幾分低くなっているようだし、
売価も前より少し安めに設定しているような気がする。おじいさんがやっている店だから、いつまでも続けられるものではないのだろう。そろそろ、か?
(ぼくの勝手な推測だけれど)
天牛新一郎さんはすでに亡く、天地書房も代替わりして面白くなくなった。さらにここのじいさんが引退しちゃったら、
古本屋巡りもずいぶん味気ないものになる・・・。
家に帰り着いて、少し仮眠を取る。
ちょうど起きようかなと思っていたところに、Naoから電話。「どっか連れてって」コールだ。きょうは、彼女が留学のためにカナダに旅立った日だから、
きっと電話がかかってくるだろうと思っていた。
家に迎えに行ってみると、意外と元気そうにしている。26号線を南に向かって車を走らせる。適当な所でUターンして、晩御飯。きょうは和食の店に入る。
夕方、10年くらい前の卒業生から電話がかかって来る。去年もいまごろかけてきたような気がするが、「電話番号を整理しとったらHiroくんのが出てきたから、こら、かけなぁと思って」と言う。
確か、去年もそんなことを言いながらかけてきたのだった。
去年の電話は、「近所の連れで高校を中退したヤツが、もう一度入り直したいらしいんやけど(うちの学校に)、
どないしたらいいんや?」という「用件」があったのだが、今年はこれといった用もなく、近況報告に終始した。
なんでも、自分で株式会社を作って、年収3億稼いでいるんだという。
そう言えば、去年の電話で、もうじき会社を作るとか言っていたっけ(他人事だから、どんな職種の会社だったか、まったく覚えていない)。
ひとしきり機関銃のようにしゃべりまくって、「またな」ということで、おしまい。
午後遅くになってから、あす印刷発送する「OGCにゅうす」の原稿を書き始める。今月は、先月の「にゅうす」で中途半端になってしまった「女系天皇」反対論に対する、
批判というか、反対者たちの中に巣食う病理について、もう少しきちんと書きたいと思う。天皇制がどうなろうと、ぼくにはどうでもいいことなのだが、頑なに「女系天皇」
を排除しようとする連中のもの言いに、天皇制から離れて大きな問題点を感じるから、きちんと文章にしておきたいと思うのだ。
手書きで書いていたんでは間に合わないから、ワードで書き進める。
明日までに間に合うか?
「イベリア」試写会。カルロス・サウラの新作だ。
ぼくがサウラを初めて見たのは「カルメン」でだったと思うが、あのとき受けたショッキングな感銘はなかなか頭から離れなかった。
フラメンコの強烈なリズムに乗せて、ビゼーの有名なオペラを、フラメンコ舞踊団内部の恋の鞘当に置き換えて描ききったその「カルメン」は、その後、舞台でもほぼ同じ配役で演じられるのを観たが、
ぼくにはナマの舞台よりスクリーンでの「カルメン」の方が、より強い印象を残している。
その後、何本かサウラの作品を見たような気がするが、
「カルメン」のときに受けた衝撃より強い感動を受けた物はなかった。
この「イベリア」は、そういった後発の作品とは少し趣を異にして、アルベニスの名曲「イベリア」へのオマージュとして、
具体的な物語を持たないまま楽曲から受けるインスピレーションを自由奔放に舞踊に昇華している。どのシーンをとっても音楽と舞踊がピタッと寄り添い、
絶妙なカメラ・照明・装置のバランスの中に緊張感が満ち満ちている。具体的な物語がないだけに言葉で説明することは難しいが、どのシーンを切り取っても、じつに美しい。
ただ、「物語」をたどりながら緊張と弛緩とをうまくやり繰りすることができないだけに、途中、何度かうとうとしてしまったのも事実だ。観るのに、体力の要る作品である。
もう一つ感じたのは、フラメンコというのは、どこまで行ってもヘテロの踊りだな、ということだった。とってもエロチックなのだが、そのエロスはどこまでもヘテロセクシュアルのものだ。
男の踊り手同士がペアを組んだとしても、たぶん、それは変わらないだろう。「イベリア」を見ながら、ふと、そんなことを考える。
学校から帰り着いて晩御飯を食べ終わったころに、まさくんからSOSの電話が入る。鬱が悪化して、医者に行ってきたのだという。一緒に夕食でも、ということなのだが、
ぼくは食べてしまった後なので、まさくんは夕食、ぼくはデザートということにして、マンションに迎えに行く。
Naoご推薦の「うどん道場」に行ってみようということにして、
車を北に走らせる。途中、まさくんの体調を気遣っていろいろ聞いた方がよかったのかもしれないが、なんとなく話の流れで、ぼくの方が学校のことなどをあれこれしゃべり続けてしまう。
きょうはNaoのクラスがやかましくて「うるさい。出て行け! 」と大声を張り上げたのに、「嫌や」と言い張って出て行かない生徒としばらくにらみ合いをしていたから、
そのとばっちり(?)か。
「うどん道場」にデザートがあるわけではないので、ぼくはおでんを頼む。ここのおでんを食べるのは初めてだ。というか、
Naoと一緒にコンビニのおでんを食べることはあっても、普通の料理屋でおでんを食べること自体、あまりないことだ(自分で煮込んで食べるだけ)。
というわけで、ほかの店のおでんと比べてどう、というのはわからないが、なかなかうまかった、ように思う。
が、肝腎のうどんの方は、まさくんのお眼鏡には適わなかったようで、
「これは、うどんじゃないです」との判定が下りた。確かに、麺の細さからして、「うどん」ではないかも・・・。半透明だし。歯ごたえも、讃岐うどんのそれとはずいぶん違う。
でも、まあ、ちょっとは気分転換にはなったようで、その意味ではよかった、よかった。ただし、きょうもカッコいい店員はいなかったのが、残念。
先週の金曜から今週の金曜までの一週間は、土日を除いた6日間で8本の映画を観るつもりにしていたのだが、きょうの「突発事故」で不発に終わる。試写会に向かう途中、
地下鉄天王寺駅で足止めを食らってしまったのだ。
長居・西田辺間の軌道内に煙が立ち込めたとかで、安全が確認できるまでの間、10分かそれ以上か、全線がストップしてしまった。
それでも、ともかく梅田まで行ってはみたものの、やはり、試写会には間に合わない。降りずにそのまま難波に戻って、古本屋、タワーレコード、中古レコード店をハシゴする。
今週は心を入れ替えて、まじめに早起きして試写会に通ってたのに、こんなときに限って邪魔が入る。残念だ。
きょうの「お仕事」は、校外学習ということで、天王寺のシネコンでの映画鑑賞引率だ。去年は、担任教員は生徒にチケットを渡すだけで観られなかったが、
今年は一緒に入って「鑑賞指導」をすることになった。で、ぼくが選んだのは、元旦の映画の日に観損ねた「Mr.&Mrs.スミス」(ほかに、「男たちの大和」「ハリーポッター」
「SAYURI」「輪廻」など)。
単純な娯楽映画かと思って見始めたのだが、どうもそれだけの代物ではないようだ。
確かに、エンターテインメントとしてよく出来てはいる。
ブラッド・ピットもアンジェリーナ・ジョリーもカッコいいし、彼らの一挙手一投足、ワンシーン、ワンシーンも心憎いほどに決まっている。台詞のひとこと、ひとことも気が利いている。
互いに対立する殺し屋組織の一員であることを知らずに一目惚れ、結婚してしまった二人が、互いの素性を疑いながらも平静を装って食卓を囲むシーンなんか、すべてのカットがピタッ、
ピタッと決まってゾクゾクするほどだ。
アクション映画のノウハウとして蓄積されてきたものを上手に駆使しているということなのだろうが、抜きつ抜かれつのアクションシーンと、
話の合い間に挟まれる夫婦セラピーとが絶妙にシンクロして、実弾戦と男女=夫婦間のバトルとがうまく重なるように構成されている。
組織からの命令で互いに殺し合わなければならないことになってしまった二人が、それでも惹かれ合うものを心の片隅にくすぶらせているさまは、
そのまま「夫婦間の愛憎」という普遍的な(?)メロドラマと重なる。
二人の素性を知らないままに月並みなアドヴァイスを与えるセラピストのお気楽さも、
ネコも杓子もセラピーに通うアメリカの現状を皮肉ったとも言えるだろうが、それでも最後は丸く収まったんだから、「夫婦なんて、そんなものさ」という現実を逆照射しているとも言えるわけで、
両義的に解釈できるこの脚本は、なかなかにうまい。
ブラピの方が一匹狼的なヤンチャっぽい殺し屋を演じ、アンジェリーナの方が組織力をバックにした冷徹な殺し屋として登場するのは、
普段は組織の歯車として使い捨てにされている男族が夢見る「ロマン」なのか(「一匹狼映画」が多いのは、そういうことだろう)、
逆に、男社会の特産物である組織を女が駆使する時代に突入したというメッセージなのか。
お洒落なアクション映画だ。
場内が暗くなっても生徒たちがワイワイガヤガヤしゃべくっていたから、「鑑賞指導」とやらをしなきゃイカンのかな?と心配していたところ、本編が始まると同時に静かになった。ホッと安心。
そのときになれば、ちゃんとやるじゃん。
「るにん」試写会。俳優奥田瑛二が監督作二作目で、八丈島に島流しになった流人たちの生き様を描き出した。島流しに遭った彼らが島でどんな生活をしていたのか、まったく知らなかっただけに、
そういう意味では興味深い作品となった。
島には牢があるわけでなく、船を下りた後は「放し飼い」にされたようだ。着のみ着のままで島に放逐されて、後は風に打たれようが雨に降られようが、
食い物がなくなろうが、自分でなんとかしのいで生き延びろというわけだ。牢屋に閉じ込めらることがなくなったんだから、「自由」が与えられたと言えなくもないが、その代わり命の保障もない。
ある意味、より過酷だ。
主役の流人には、かつて、美形ダンサーとして話題になった西島千博が、その相方として、松坂慶子が元遊女を演じる。美女になったりしなびたオバサンになったり、
だらしなく乱れたり毅然と輝いて見えたり、松坂の千変万化ぶりが見物だ。
その遊女を「ねえさん、ねえさん」と慕って身の回りのを焼く「下女」を、
トランスジェンダーのひかる(KABA。ちゃん?)が演じるというのも面白いというか、ナンなんだろう?というか。まあ、江戸時代にもトランスはいたんだろうけど・・・。
もっとも、ぼくははじめ、これがトランスジェンダーだと気付かずに、フツーの女だと思ってぼんやり見てたんだけど。森の木陰でフェラチオしてやってる「ひかる」を見て、
西島が「野郎のくせしやがって」と吐き棄てるように呟くのを聞いて、「なんだ、男だったのか」と気付くという間抜けさ。そう言われて見ればトランスじゃん、てな具合だ。
松坂にしても「ひかる」にしても、タラタラした感じに着物を緩く着流しているので、男と女の境界線をゆるゆると跨げるような気がする。
西島と松坂が恋仲になって、
西島は彼女と共に生きていくためになんとしてでも島を抜け出ようと、じっとその機会をうかがうというのが物語の筋だが・・・。糖尿病(?)を患って失明してしまった「ひかる」が、
「こんな自分でも必要としてくれる人がいるから」と言って島に残ろうとするのが、妙に引っかかる。目が見えない自分が足手まといにならないようにということなのか、
自分のような「ふたなり」はこんな所で生きるしかないと観念しているということなのか、ともかく、ぼくには彼女が自己卑下しているように見えて、辛い想いが残ってしまった。
流人の生活ぶりは見ていて興味深かったものの、幕府からは何も与えられない島の生活の中でも裕福そうにしている者がいたが、どうやって裕福になれたんだろう?とか、
こっそり島の地図を作成していた男は自分の小屋に「ご禁制」の伊能忠敬の地図やら様々な書物やらを隠し持っていたが、どうやって島に運び込んだんだろうとか、素朴な疑問は残る。
あと、どうしても気になるのは、やはり、「遊女」の描き方だ。男たちから貶められながら、一方で、「慈母」「聖母」として崇められるという、遊女像の定型をそのまま踏襲していたのは、
当時、そうだったんだから、と言われてしまえばその通りだろうが、現代の目から見て、もう少し何か別の視点を加味することはできなかったのか?という疑問は湧く。
「学校が終わってからちょっと待ってもらわな、アカンけど」という変則タイムで、きょうも、Naoからドライブのおねだり。
例によって行く当てがあるでなし、難波方面に車を走らせる。
堺に戻ろうとしたところで、「うどん道場に行こうや」ということになって再び北上する。きょうは天神橋店に行ってみたが、きょうもカッコいい店員はいない。うどんの茹で加減もイマイチだったようだ
(ぼくはカス丼を頼んだので、うどんの上がり具合はわからない)。
どうしちゃったんだろう?カッコいい店員。
「すきだ、」試写会。いまどき、こんな不器用でうぶな恋愛を演じる若者がいるだろうか?と思わずうなってしまうほどの、純情物語だ。好きなのに、お互いが好き合っているのに、
「好きだ」と言えない、言い出せない。タイトルの「、」には、そんな行き場のないモジモジした想いが籠められているのだろう。長回しのカメラがじっくりと映し出すヨースケとユウの間の「空気」からは、
懐かしささえ漂ってくる。
ふだん生徒たちの雑談を聞いていると、出会って即セックス、なんてのがけっこういたりするみたいだから(むしろ、セックスするために「出会う」
というか)、ここで描かれる純情はまったく「別世界」のことのように思ってしまうのだが、たとえばNaoなんかは、この映画の主人公たちほどではないにしても、
付き合いだして10ヵ月経ついまも「チュー」以上のことをしていないというから、純情な子たちもいるところにはいるということなのかもしれない・・・、
てなことを、あれこれ考えてしまうような物語だ。
高校時代と30過ぎになってから。17年を隔てて、二人の男女の間に流れるほのかな想いを描き出す。
ヨースケとユウの二人は学校では同じ教室で、学校が終わってからは川べりで、毎日のように「デート」を重ねている仲なのに、どちらからも「好きだ」のひとことが言えない。
何度も同じところまで弾いては止まってしまうヨースケのギターと、それを黙って聞くユウの間のモジモジ感がいい。
場の状況だけを伝えて台詞は役者自身が自分自身の言葉として紡ぎ出すという演出が、
不器用な二人の感情のもつれ具合をうまく引き出している。「作り物」の感じがしないのが、いい。
ぼくは、大人になってからのヨースケを演じる西島秀俊目当てで観に行ったのだが、
少年時代を演じる瑛太の素朴な感じが素晴らしい。
「二人日和」試写会。なんともしっとりした、味わい深い作品だ。観終わって、心の中に、まろやかで上品な和菓子をいただいたような、ほっこりした満足感が広がる。
「老い」を迎えた夫婦。
筋萎縮性側策硬化症を患った妻(藤村志保)は、はじめは指先に始まって、次第に全身の筋肉の力が衰えていく。若いころ駆け落ちまでして一緒になった夫(栗塚旭)は、そんな妻の体を案じながらも、
頑固一徹な神祇装束の職人として仕事を続けていくのだが、一見すると、硬直した「コミュニケーション不全症オヤジ」のようにさえ見える。だが、うまく言葉に出せないだけで、
妻をいたわる気持ちはいじらしいほどだ。
無口で不器用だけれど、そうであるだけに、ふとした瞬間に見せるはにかんだような表情が、口先だけ上手を言う連中にはない真心を覗かせて胸を熱くさせる。
少しでも筋力の衰えを止めてやりたいと、子ども相手に手品をして見せていた大学生に、妻のために手品の手ほどきをしてやってくれと頼んだり、入院した妻を看病するために代々続けてきた店をたたんでしまったり・・・。
それを押し付けがましくもなく、ありがたがらせることもなく、淡々・黙々と実行していくところが、いい。
彼が最後に仕上げた二藍の汗衫《ふたあいのかざみ》の美しいこと。
神社から依頼された品であるにもかかわらず、奉納するのが惜しくなったと言って手元に留めておくのだが、妻の棺に納めることになることを予想してのことだったのかどうか。
藤村志保も栗塚旭も、さすがベテラン、といった感じの渋い演技を見せる。彼らの見せる表情の味わいは、なんとも言えず感嘆するのみだ。どこまでも好青年であり続ける大学生を演じる賀集利樹くんは、
演技が多少単調だと言えないこともないが、それも初々しさだと思えば、この物語に似つかわしい。
さらに、しっとり感を漂わす京都の街が、なくてはならない役割を果たす。
すべてをじっくり映し出すカメラも素晴らしい。
「掌中の玉」といった風情の作品だ。
「白バラの祈り」試写会。戦争末期のナチスドイツにあって、敢然とヒトラー批判の声を挙げた大学生の物語だ。実話を元に、新しく明らかにされた記録なども織り交ぜて作られた映画だという。
秘密警察ゲシュタポの監視やら隣人の密告などの下、自由に物が言えなかった時代にあって、これほどまでに堂々とヒトラーを批判したドイツ人がいたということを、じつのところ、
ぼくはこれまで知らずにいた。この作品を観る人は、戦前を髣髴とさせる状況に陥りつつある日本で、ぼくたちには何が出来るのだろうかと考えながらスクリーンを見詰めることになる。
物語の中心を占めるのは、ハンスとゾフィーのショル兄妹だ。ことに21歳のゾフィーが、ゲシュタポの取調べに対しても裁判官の度を越したなじりに対しても、
毅然とした態度で自分の信念を貫く様は圧巻だ(それにしても、ヒトラーお抱えのアジテーターよろしく被告をなじり倒す裁判官の醜さ)。
もちろん、厳しい取り調べの間に見せる動揺や、恐怖心から出る慟哭を描き出すことも忘れていないが、それらを凌駕して湧き上がるゾフィーの靭《つよ》さはじつに驚異的だ。
始めから死刑になることが決められていた茶番の人民裁判で、発言を強引に制止しようとする裁判官に負けることなく、並み居る傍聴軍人たちを尻目に自分の信念を滔々と述べ立てるゾフィーはじつに晴れ晴れとしている。
兄のハンスも、ソフィーの勇気を称える両親も素晴らしい。ナチスは異例の即日処刑に踏み切るが、そうせざるを得なかったのも、彼らの「正義」を恐れたからにほかならない。
2時間1分。緊張の糸が緩むことはない。
ただ、映画は素晴らしいのだが、黒地に白抜き文字のパンレットはじつに読みにくい。カッコをつけるばかりで、読んでもらうことを忘れたデザイナーは、愚かだ。
きょうは、Naoがスクールカウンセラーに話を聞いてもらったという。以前、ぼくも「カウンセリングを受けてみるか?」と軽くほのめかしてみたことがあったが、そのときは
「そんなんして、何か意味あるん?」といった反応が返って来ただけだった。きょうは保健室の先生に「いろいろ悩みがあるねん。5つくらい・・・」と言ってみたり、
気になる夢を見たと言ったりしてきたので勧めてみたら、話に乗ってきたということらしい。
さて、どんな話をしたのやら・・・。
家に帰り着いてほっと息をついていると、Naoから電話が入る。10時半過ぎからのドライブだ。泉北一号線を途中まで走ったところで引き返して、「うどん道場」に向かう。
途中、カウンセリングを受けた感想を聞いてみると、「ぼちぼちやな」と言う。話してみて取り立ててよかったという気もしないが、もう話したくないという気もしなかったと言うのだ。
とは言え、いろいろ話したいことがあったのだろう。気になる夢の話まで行き着かずに、ほかのことをあれこれ話して終わったみたいだ。
きょうぼくに語った彼の「悩み」というのは、
将来どんな仕事に就きたいか、まったく見えてこないというものだったが、ぼくは「『本当にしたい仕事』が見つけられない人は(ぼくを含めて)たくさんいるよ。
やりたい仕事が見つかって、それを続けてやっていられる人は、それも一つの才能かもしれないね」といった話をしてやる。
きょうは出かけたのが遅かったから、
天神橋筋の「うどん道場」でなく、近くにある本店の方に行ったのだが、ひょっとしたら、カッコいい店員はもともと本店の人で、
年末の忙しいときに天神橋店に手伝いに来ていたのかもしれないという「読み」もあったのだ。が、やっぱり、ここにもいなかった。残念。
今朝も長い夢を見た。大半は忘れてしまったが、長〜〜い夢の半ばは、なんと、映画一本を観るというものだった。しかも、観終わった後に、監督(?)を交えて討論会をするとかいう、
ご丁寧な落ちのついた夢だった。
が、「私が話し合いに加わる前に、みなさんだけで自由に話し合っていてくださいね」とかって、(女性)監督は控え室に引っ込んでしまった。
しかも、ぼくたち観客が「これはエッチな映画ですわ」「いや、ポルノに対するパロディー(=批判)でしょう」なんて話し合っているうちに夢が終わってしまって、
「監督のお話」は聞けなかった(ような気がする)。ちょっと残念ではあったが、きょうの夢出演者には学校関係者がほとんどいなかったみたいで、「学校内依存症」に陥ってなかったことを喜ぶべきか。
昼ごろに起きてメールをチェックしてみると、昨夜10時ごろにまさくんから送られていた「寒いから近所のラーメン屋さんに入ってます」というメールが見つかった。たぶん、
晩御飯のお誘いだったんだろう。
が、このところ毎晩のように起きる「メールの糞詰まり」のせいで、リアルタイムには届いてなかったのだ。なんせ、今日になって「発見」されたメールの中には、
きのうの午後5時ごろのも何通か含まれていたのだから。きょうは、31通ものメールがどどっと届いてビックリしたが、そのほとんどが、オークション終了後の手遅れメールだ。
ヤフーが悪いのか、メールサーバーが悪いのか、散財せずに済んだという意味で、「天の声」か。
大量の不審メールがメールサーバー宛てに送り付けられるために、
通信を一時的に制限しなければならなくなるということらしいのだが、どうやら、困っているのはここだけではないようだ。いま使っているプロバイダーであるk-opti.comからは、
2月から@eonet.以外のアドレスを使っている人は特別な設定をしなければ利用できないようにすると言ってきたが、これも、大量の不審メールからサーバーを守るための措置だという。
ヤフーのオークションも、毎晩、夜になると機能停止に追い込まれるが、これも同じ理由なのかもしれない。
ぼくがコンピュータを使い始めたころは、ウィルスに対する不安が喧伝されたが、
最近は沈静化してきたのかしら?と思ってたら、今度は迷惑メールの氾濫に振り回されているということなのか。
この次は何が出てくるのか?まるで、イタチごっこだ。
まさくんに「きょうの予定は?」とメールしてみたところ、「監査書類の修正をしなければいけないので、9時以降だったら・・・」とのこと。日曜日はお休みのはずだが、
重箱の隅をつつくような行政のせいで、仕事に追われることになってしまったようだ。作業所に行ってみると電気が消えていたから、マンションに向かう。
が、マンションに向かう途中、えらく雪が降ってきて、前が見えないほどになってきた。ぼくはスパイクタイヤとかチェーンの用意なんてまったくしてないから、
無事に帰れるんだろうか?なんて気にしながら、車を走らす。マンションに着いたときには止んでくれて、一安心。
ドアをノックすると、すぐに、出かける身支度をしたまさくんが玄関に現れた。
彼の肩越しに、中の様子をうかがう。「散らかっているから」と言われるまま、ずいぶん長い間マンションに入れてもらってなかったから、どんな状態になっているのかと心配(?)していたが、
ぼくの家よりはきちんと片付いている。
つい最近まで、玄関にまで荷物が散らかっていたと言うのだが、「現場」を目撃したわけでもないから、「散らかっている」
の基準がぼくとで違っている可能性もあるだろう。
まあ、それはともかく。まさくん行きつけの韓国料理店に寄って新年のご挨拶&何時までやっているかを確認してから、
先にデザートを摂ろうと高島屋地下のレストラン街に向かう。パスタの専門店がカプッチーノの表面に似顔絵(?)を描き出してくれるというので、それを頼む。
コーヒー嫌いのぼくがカプッチーノを飲むのは、初めてのことだ。
「コーヒー」が出てくるというのでちょいと心配したのだが、表面の泡がまろやかでおいしい。
これなら、ぼくでも大丈夫だ。「お目当て」の似顔絵(?)はとってもかわいい。壊してしまうのが惜しいくらいだが、カプッチーノを飲むには壊さなければならない。
二人でワイワイ言いながら、主食前のコーヒーブレイクを楽しむ。
「主食」の韓国料理屋さんでは、日曜の夜遅くということで売り切れの物が多かったが、
先にデザート(?)を摂っていたせいか、注文はいつもより少なめで済んだ。青唐辛子入りのチジミがちょっと辛すぎたせいもあってか、まさくんの食欲もいつもより控えめだったような気もする。
監査書類の修正作業のことや担任生徒の卒業後の進路に関する話など、堅い話題を交えながらも楽しい会食のひとときを過ごして外に出ると、食事中にも雪が降っていたのか、
路面がしっとり濡れていた。
マンション下で「おやすみ」の挨拶を交わして、帰宅。
堺に来て以来使っていたガスストーブが、とうとうおかしくなってきた。全開、半開の切り替えがうまくいかないし、火を切ったつもりが切れてなかったり、どうも、スィッチのつまみが変だ。
26年間も働き続けてくれたのだから、そろそろお役御免か。ネットオークションにお値打ち品が出てないか、チェックしてみる。この寒い季節にストーブなしでは、ちょっとまずい。
朝の10時ごろ、Naoからの電話に起こされる。「どっか、行こうや」コールだ。「ええ?12時過ぎに宅配が来るからダメだよ」と断わると、「ウン。
いまから出発したら12時までには帰ってこれるやん」ときた。「さっき寝たばっかりだから、ダメ、ダメ」と言い張って諦めさせる。
Naoは「じゃ、また、午後連絡するわ」
と言って電話を切ったが、結局、かかってこず。夕方、まさくんの作業所に行ってみたところ、すでに閉まっていたからNaoを誘ってどこかに行ってもよかったんだけど、
そのままにしておいた。
作業所のポストに『部落解放』2月号を放り込んで、家に戻る。顔を出すのがちょっと遅すぎたか。
その宅配・・・。オークションの戦利品だが、「ダウンジャケット」ということで落札したのに、届いた商品を見ると、ジャンパーの中綿はポリエステルだった。
1000円でダウンジャケットがゲットできるわけがないと言ってしまえばその通りだろうが、だますつもりだったのか、出品者が「ダウン」の意味を知らないだけなのか?
こういうリスクも覚悟の上でのネットオークションだとは言え、このごろよく出品説明と実際の商品が食い違っているケースにぶつかる。コピーもののDVD-Rだったり、
「レザーパンツ」が綿パンだったり・・・。
「ホテル・ルワンダ」試写会。前回の試写会を見逃していただけに、もう一度やってくれてよかった。
今回は遅れないようにと早めに着いたつもりだったが、すでに試写室は満席状態だ。
なんとか入れたものの、一番前の右端補助席という最悪の場所となってしまった。だが、入れなくて帰らざるを得なくなった人に比べたら、観られただけでも感謝、感謝。
ここは座席数が(おそらく)大阪で一番少ない試写室で、一番前の席からスクリーンまで、すぐ近くだ。こんな席で2時間もの長い映画に耐えられるかしら?と心配しながら見始めたが、
まったくの杞憂に終わる。画面に惹きつけられ続けて、あっという間に終わりを迎えてしまったという感じだ。「人権映画」につきものの説教臭さもなく、
ヒューマニズム映画にありがちな「聖人君子」臭もない。アクション映画さながらのテンポのよさで、一気呵成に描ききる。だが、観終わった後には、ずっしり重たいものが残る。
描き出されるのは、1994年、アフリカ中東部のルワンダで起きた大量虐殺の悲劇だ。長年に渡るフツ・ツチ両民族間の憎悪が、フツの大統領殺害事件を引き金として爆発する。
フツの正規軍・民兵、
それぞれが、それぞれのやり方でツチの人びとを虐殺していく中で、ツチの妻をもつ高級ホテルの(副)支配人、ポール・ルセサバギナは、はじめは自分の家族だけでも守ろうとして、
次第次第に、彼を頼って身を寄せてくる多くのツチ人をホテルにかくまってゆくことになる。フツが支配する政府はもちろんのこと、欧米諸外国の軍隊も、国連の平和維持軍さえも、
フツによる虐殺を止めようとしない中で、ポールが頼りとするのは、ホテルマンとして培った人脈とホテルの金庫に眠る金、外国産の高級アルコール・高級葉巻だけだ。賄賂だろうとおべっかだろうとかまわず、
あらゆる手練手管を尽くして、自分たちの身を守ることに全力を傾注するのだ。
暴力だけがはびこる中で、武力をもたないホテルマンが一般庶民の命を守り続ける様は感動的だが、
「外から」事件を見ていたぼくたちとしては、単にポールの勇気を褒め称えているだけでは済まされない。あのとき、ぼくたちは何をしていたのか。何もしないで見物していたぼくたち日本人も、
彼らを見捨てた「白人世界」と同罪だ。そのことを、この作品は改めてぼくたちに突きつける。
初めて虐殺の現場が西側のテレビで流されたとき、「これで、
世界はここで何が起こっているか知ってくれる。我々を助けてくれる」と安堵するポールに、その映像を世界に届けたカメラマンのジャックが、「世界の人びとはあの映像を見て”怖いね”と言うだけで、
そのままディナーを続ける」と告げるところは、この映画の核心だ。ヨーロッパの軍隊が救出しようとするのは白人だけだと知ったポールが、「自分はいままで白人たちと同じように振舞ってきたが、
バカだった。自分はただの黒人でしかなかった」と述懐するところも、胸にぐさりと来る。
ぼくたちにしても、ポールにしても、自分は何者で、何をすべきなのかが問われる。
あの「大虐殺」は、決して他人事ではなかったのだと、他人事としてはいけなかったのだと、観る者に語りかけてくる。観る者の「生きる姿勢」が問われる作品である。
1時間目、Naoのクラスに行くと、3、4人の生徒が焼き芋を食べていて、「先生にもやろうか?うまないんや。全然、味ないわ」と言いながら、ぼくに手渡してきた。
買ったはいいけれど食べる気がしなくなって、みんなで分け合って早く食べ終わろうとしているようなのだ。
渡された芋を口にしてみる。確かに「うまい! 」とは言えないだろうが、 彼らが言うほどまずくはない、ように思う。芋の話から始まって、結局、きょうはずっとだべり続けて終わる。出席生徒が減ってきてしまったから、まるで毎回井戸端会議をしているみたいなもんだ。
終了前10分くらいになって、やっとNaoがやってきたが、出席と見なすことはできない。「セーフ! 」とお目こぼしを求めるNaoに、「なにが、セーフや。アカンよ」
と返すと、ふくれっ面をして出ていってしまった。
あとで保健室の先生に聞くと、予想通り、保健室にやって来て不満そうな顔をしていたという。
あれこれ「溜まっているもの」があるようだったということだ。それが何なのか、口に出しては言わないが、ストレスがかなり溜まっているのだろう。
きょうはきょうで、ヌレエフが踊った「ジゼル」のDVDが届く。ヌレエフもAIDSで亡くなった人の一人だ(1993年)。
「ジゼル」というのは、
30年前にぼくがヌレエフを「発見」するきっかけになったバレエだ。デンマークのエリック・ブルーンが踊る「ジゼル」の映画を観に行ったときに、本編が終わってから予告編の形で、
ヌレエフとマーゴ・フォンテインによる「ロメオとジュリエット」の一部が映し出されて、ぼくの体にビリビリっと電気が走ったのだった。舞台でヌレエフの「ジゼル」を観ることは叶わなかったが、
そういう意味では縁のある作品だということになる。
それにしても、この二日間、AIDS亡くなったアーティストの作品が集まってきたのも何かの縁か。
今年卒業する3年生の授業も、あと少し。ぼくの授業を選択した連中はわりとヤンチャなのが多いのだが、彼らの心情は、すでに、「お別れムード」に突入しているようだ。
「卒業式には、絶対、袴穿いてきてや」と念押しされてしまった。
「オレらが一年の時には、まだあったのに、こんなに薄くなってまって・・・」と、しみじみ髪の毛の心配をしてくれる者がいるかと思えば、
「先生がおらんかったら、この授業、択ってぇへんで」と言うのもいる。「ええ?でも、ぼくが持つとは限らなかったんだけど」「いや、オレらにはわかっとった・・・」「ホンマかいな」
授業が終わって教室を出ていくときに「センセ、ありがとな」と握手していったのもいるが、まだ、二回ばかり残ってるんだけど・・・。
ヤフーのオークションでゲットしたバルバラのライブCDが届く。数年前にAIDSで亡くなったシャンソン歌手だ。早速、聴いてみる。
ぼくが聴いた生前の彼女のコンサートは、二回。
フェスティバルホールの広い舞台に全身黒ずくめの衣装で一人現れて、ピアノだけの伴奏で、曲間のしゃべりもなしにひたすら20曲以上を歌い上げた
(一部と二部の間には、15分?の休憩があったけど)。
二回目のコンサートではAIDSを患っている友を想っての曲も披露したが、彼女自身も同じ病で逝ってしまった。
きょうは、同時に、バーンスタインがウィーン・フィルを振って残したマーラーの交響曲全集のDVDも届いた。彼もAIDSで亡くなったアーティストの一人だ。
きょうは雨が降ったり止んだり。かなり降っていた時間帯もあったように思うが、傘を持たずに雨に濡れながら帰る生徒もけっこういる。朝、
仕事に出るときに降ってなくて、傘を持たないまま家を出たのか、それとも、学校が終わるころになれば止むと思っていたのか?
そこで、今夜のNaoは、「雨の泉北一号線を走ろうや」ときた。
「運転する側としたら、雨の日はあんまり走りたくないんやで」と感謝の押し売り(?)をしつつ、雨に煙る一号線を終点まで走って引き返してくる。きょうは、ほとんどの車が安全運転だ。
ドライブの仕上げは、うどん。
「寝床」の日記をカレンダー付きのやつにしたいと、日記ソフトをあれこれ探し回る。年末にも探してみていくつか候補をピックアップしたのだが、改めて調べなおしてみた。
カレンダーの「表」を作って、日付をクリックしたらその日に飛ぶようにすることくらいはぼくにも出来るが、一日ごとに手入力しなくても自動的に飛ぶようなプログラムがほしいわけだ
(&毎月毎月、カレンダーの曜日をずらして作り直すのも、自動でやってくれるのがほしい)。
いくつか見つかるには見つかったが、
ぼくには必要のないプログラムがごちゃごちゃくっ付いていたり、一回に書き込める字数が1000字までに限られていたりと、どれも一長一短だ。無料ソフトでなくても、
少しくらいは金を払ってもいいと思うくらいだが、どうも、ピンと来ない。
そこで、先輩ソフト開発者のものを参考にさせてもらいながら、再度作り直してみる。「自動リンク」は諦めて、
一日ごとに手動で入力するという単純システムをほぼ完成。ほかでは見られない(?)くらいにシンプルなのが出来上がった。
そんなこんなのことをしていると、朝の6時過ぎに不審(?)電話が鳴る。こんな時間に誰が出てやるものかと無視をしていたら、二度ばかり鳴って諦めたようだ
(真夜中の3時くらいにも鳴ってたけど)。
80歳を間近にした両親に異変が?と思わないでもなかったが、それなら、しつこく何度でもかけてくるだろう。
簡単に黙ったということは、大した用ではないということだ。早朝、人騒がせな話だ。それとも、嫌がらせかな?
「原稿明け」の一日。だらだら午後3時過ぎまで寝て、何をするでなく、ぼんやりと過ごす。
と、夜になってNaoから電話がかかってくる。「たこ焼き食べに行こうや」ということで、
先日閉まっていた堺市駅商店街のたこ焼き屋に行く。きょうは営業していてくれたが、きょうのお味は、ちょっと・・・だった。
食べ終わって、当てもなく天王寺方面に向けて車を走らせていると、
「スーパー○○で肉を買って帰りたい」と言い出す。この間初めて○○に入って、あまりの安さにビックリ仰天したらしい。「ええ?○○の肉はやめといた方がいいんとちゃう?
人造肉かもしれんで」「でも、食べたい。安いやん」「だから、安物はまずい、て。食べない方がよかった、なんてことになっても知らんで」「でも、食べないよりは食べた方がいいやろ」と譲らないので、
堺方面に戻る途中で○○に入る。「食べたら感想聞かせてな」
さてさて、どんな味がするだろう?ちゃんと「豪州産」と明記してあったのは、正直でよかったけど。
寝不足のまま昼ごろに起きて、原稿の仕上げをする。ようやく夕方に完成、すぐにメール添付で送る。なんとか、まさくんの作業所閉店時間ギリギリに間に合った。
去年の12月はじめ以来、久しぶりの作業所だ。
ぼくが作業所に着いたときには、みんな一階奥に集まって、きょうの反省(?)をしていた、みたい。
近くの病院でのきょうの出張販売について、それぞれの感想や反省点を出し合って次のステップに繋げて行こうということのようだ。じつに前向きだ。冗談を言い合っていたかと思えば、
緊張してしまったと言う人には励ましの声をかけたり、話し合いの雰囲気も、とってもいい。
早速、戎さんのお土産「龍のひげ」を出して、みんなで食べてみる。韓国のお菓子ではあるようだが、
韓国食品を扱っている作業所の面々も知らなかったみたい。髪の毛より細くなった飴の糸が繊細で美しいうえに、それにくるまれた中身も、黒ゴマ、ひまわりの種、胡桃、アーモンド、ピーナツ、
松の実、柚子の実が混ぜ合わせられたものだということで、甘すぎもせず上品な味で素晴らしい。
くるんだ蜂蜜の糸の衣からこぼれ落ちてきたりして、ああ、もったいない、もったいないという感じだ。
閉店後の掃除をみんなで協力して済ませて三々五々帰って行った後、まさくんと夕食を摂りに作業所を出る。Naoが「もう、彼氏、連れて来た?」と気遣ってくれる「うどん道場」
に行こうかとも思ったが、久しぶりにインドネシア料理の店に行きたいとまさくんが言うので、府立大学横の店に行く。前回に来たときより、注文は少なめにしたような気がするが、
それでも十分に満足感を味わって店を出る。
ぼくは原稿を書き終わってしばらくぼんやりとできるが、まさくんは来週に大阪府から監査に来るということで、
そのための準備で仕事がぎっしり詰まっているようだ。NPO法人になっての初めての監査だということだが、大規模法人に対する監査そのままに、
小規模作業所所には必要ないはずの書類まで用意するように言って来ているらしい。勉強不足の行政当局に振り回されて大変だ。まったく・・・。
英訳論文集の編集者から、新しい翻訳案が送られてきた。ぼくが「チェック」して赤ペンを入れた部分を含め、再度検討した結果を反映させた文案だ。『部落解放』の原稿を書き終わってからでいい?
と、お待たせメールを打つ・・・つって、原稿はなかなか進まないんだけど。
なかなか進まないのに、また今夜も、Naoから「たこ焼き食べに行こうや」と言われて、
つい出かけてしまう(原稿のことがあるから、きのうは遠慮していたのだろう)。
・・・が、堺市駅近くのたこ焼き屋はなぜか閉まっていたので、
本日のドライブは短時間で終了。翌朝にかけて、30分、1時間と細切れに仮眠を取りながら原稿をトロトロ書き進む。
なんとか〆の段落までこぎつけたが、ボケた頭でいくら考えてもうまくいかないだろうと、
思い切りよく寝てしまうことにした。朝の7時過ぎ。
試写会の日程を勘違いしていて、見逃す。月曜日が休みだったせいで、曜日を勘違いしていたというか。はじめは、「手帳のメモがずれてたよ」と舌打ちしたのだが、よくよく見直してみたら、
手帳は合っていたのに見間違えていたのだった。
作品は「ホテル・ルワンダ」。またやってくれたら嬉しいんだけど。新年早々、ドジだ。
『部落解放』の原稿を書き始める。と言っても、2、3行書いただけで筆が進まない。
今月もこれといったテーマが思いつかないまま、リバティおおさかリニューアルについて書くことにした。
「『日記』に書いてはることを張り合わせたら、いけるんとちゃいますか?」と同僚に言われて「日記」を見直してみたところ、目ぼしいものはこれくらいしか見当たらなかったのだ。
ちょいとインパクトが弱いような気もするけれど。
今夜もNaoが甘えてきて、学校近くのうどん屋に。「原稿書かなアカンから、今週末はダメだよ」と釘を刺しておく。
今年はカレンダーの巡り合わせが抜群で、3学期始めは10日からということになった。ラッキー、ラッキー。
2学期終業式のときに着ていったフェイクファーのコートが大評判だったから、
きょうはミンクのマントにしたのに、ホンマもんの方が注意を惹かないままで終わる。形がわかりにくいうえに、色目が地味だからか。「遊牧民みたい」「毛布をかぶっとるみたいや」
と言う生徒がいたくらい。たしかに・・・。
ホームルームが終わったころ、りんご飴大好き少年のNaoが「きょうは戎さんやで。行こうや」と言って来る。そう言えば、きょうは本戎の日だ。堺の戎さんは境内が小さいそうなので、
今宮戎まで行ってみることにする。列車の窓から黒山の人だかりを目にして「何が面白くてこんなに集まるのかねえ?」と呆れるばかりで、いままで行ってみようと思うことなどなかった祭りだが、
りんご飴おっかけに付き合って、大阪に来て初めての戎さん体験となった。
周辺は交通規制されていて近づけないんじゃないかと心配していたが、意外と近くまで入り込めた。駐車場に車を入れて、
警官に誘導されるままに「裏通り」を神社に向かう。「表通り」は神社から南海難波駅に向かっての一方通行にされていて、露店が両側に並ぶ中を道幅一杯にぎゅうぎゅう詰めになった人びとがゾロゾロ歩いている。
こんなにも大勢の人が集まってくるなんて、感動するやら呆れるやら、まるで、筒から押し出される心太のようだ。
「裏通り」を歩いていくと、Naoが、団地の一階で店を出しているたこ焼き屋の表に「昔なつかしい ちょぼ焼き」という看板を発見して、「あれ、なに?」と訊いてくる。
ええ?ちょぼ焼き??知らん・・・。
なんだろうと近づいてみたが、おばあさんが普通のたこ焼きを焼いているだけだ(のように見える)。
「ちょぼ焼き、て何?」と訊いてみると、タコの入ってないたこ焼きみたいなもので、昔の下町では、タコの代わりにこんにゃく、ちくわを入れて焼いて食べたものだという。
「昔は、四角かったんやけどな」
・・・Naoと顔を見合わせて、たこ焼きを買う。味はいま一つだ。ころもがカリッと焼き上がってない。タコは大きいが、味がない。が、まあ、珍しい話が聞けた。
神社が近づいてくるにつれて、道を歩く人も増え、出店も増えてきた。チジミを売る店があちこちに出ているのは、在日朝鮮人がたくさん住む大阪ならでは、か。そのほかにも、
トルコのアイスクリーム職人が餅のように伸びるアイスを売っていたり、水飴&蜂蜜を紐状にしたのをどんどん伸ばして行って髪の毛より細い糸にしていく「龍のひげ」というお菓子を実演販売していたり、
じつに面白い。いままで、こんなにも変わった物を売っているお祭りに出くわしたことがない。実演に見とれた挙句、トルコのアイス、「龍のひげ」を買う。
右に左にと視線を移しながらぶらぶら歩き回って、お目当てのりんご飴を買う。そのほかにも、イカ焼き、プチたい焼き、ベビーカステラ、ぶどう飴を買い、
シルバーの指輪を4割引で出している(こういう惹句に弱いぼく)店でNaoはシンプルなのを、ぼくはブラックスターをあしらった指輪を買う。
お母さんへのお土産だと言って、彼はネックレスも買っていた(19000円の値札をつけておきながら「全部、1000円でいいから」と売る、怪しげな店。
まあ、こういうのもお祭りの楽しみの一つか)。
ここに来てやっと、ミンクのマントを褒めてくれる人に出会ったが、客をおだてて買わせようとしただけなのか、
本当にそう思ったのか?褒めてくれたうちの一人、イカ焼きのイケ面兄ちゃんには「おとうさん」とも言われたが(Naoとは顔つき似てないと思うんだけど)、
カッコよかったから善しとしとこう、と。
ぼくもNaoも「お参り」にはまったく関心がないから神社正門の前をそのまま素通りして、駐車場に戻る。だいぶ時間が経っていただろうに、
思ったより駐車料金は安く済んだ。この間の「大たこツアー」のときの、20分も経ってないのに500円も盗られたのに比べたらずっと良心的だ。
それはともかくとして、
初めて戎さんに来てみて、みんなが続々と押し寄せるのもわからなくはない気になってきた。お祈りして「商売繁盛」となるかどうかは別として、この賑わいぶりは楽しい(散財注意! )。
お待ちかね、24時間風呂の取り付け業者がやって来る。「4時間くらいかかります」と言われて、え?そんなに?と驚くが、3時間と少しくらいで終わったか。
今までのよりかなり大掛かりな取り付け方をするようで、風呂場のタイルに穴を開けてボルトで固定したり(大家さんに断わりを入れなくちゃ、いけない?)、
その他、いろいろな作業を黙々と続けていた。面白そうだから、最初は作業を見ていたのだが、「用があればお呼びしますから」と言われてしまったので、仕方なく取扱説明書を読んだり、
ホームページの去年分の日記を書きつけたりしながら作業終了を待つ。
午後4時前には作業が終了したので、説明書で予習しておいた取り扱い方を改めて聞く。
ヒーターだけで湯温を上げるのは時間がかかり過ぎるからガスも使って沸かした後で、早速入ってみる。快適、快適。
前のよりお湯のすべすべ感が少ないようだが、
しばらくしてろ過剤の鉱石がなじんできたら、また違った感じになるかもしれない。楽しみだ。夜中にもう一度入って、寝る。
「寝床」の日記、やっと去年12月分が最後まで書きあがる。リアルタイムに追いつくには、まだまだだけれど。
OGCの例会。今年もこれといった「豪華メニュー」を用意しているわけではないけれど、とりあえずはお茶会くらいはしようと、萩の小服茶碗とドッシリとした瀬戸黒を持って家を出る。
遅刻する〜〜〜と慌てたが、時計を一時間読み違えていた。梅田駅に着いてから阪神百貨店で和菓子を見て回ったり、古本屋に入ってみたり、中古CD屋に入ったり、ずいぶん時間をもてあます。
お茶菓子は、菊屋の8個入り生菓子詰め合わせを買う。葩餅《はなびらもち》も二つ入っていて、お買い得(?)だ。
「新年会」と言うには間延びしてしまったからか、
参加者は3人だけとなった。だが、8個も買ってきた和菓子が余っちゃうと思ったら、3人で全部平らげてしまう。3つ目に食べた平凡そうな上用が、一番おいしかった。
葩餅はお正月だけの季節物和菓子だが、菊屋のは表の求肥が乾燥気味でイマイチだ。デパートに出されている物は鮮度が落ちているから、これで菊屋の評価を下してしまったらかわいそうだとは言え、
中の味噌餡もたいしたことなかったし、ちょっとガッカリだ。
それにしても、死ぬまでに一度でいいから、川端道喜の葩餅を食べてみたいものだ。
20年くらい前に、お茶の先生のとこの初釜でぼくが推薦した堺の唄寿堂の葩餅を出してもらったことがあったが、あれは本当においしかった。店そのものがなくなってしまったのが、返す返すも残念だ。
といったところで、お菓子を食べながら適当におしゃべりを続けて、適当なころあいにお開き。何をしゃべったか・・・忘れた。
家に帰り着いてから、とらやの干菓子で「一人お茶会」をする。きょうはオークションでゲットした茶筅を使ってみたのだが、硬めの穂先が「初昔」に合わないのか、味の方はいま一つだったから、
もう一度、確認してみたのだ。やっぱり、まろやかさが出てこない。いつもの茶筅でワンランク下の「千代の寿」を点ててた方が、うまかった。
軸のところに桜の葉が彫られている茶筅だから、
新春気分に合うだろうと思ったのだが、当て外れ、か。「素人」さんの作った茶筅なのかもしれない。
とらやの干菓子も、いま一つのような気がする。亀屋の干菓子は口に入れると柔らかく溶けてきて、
そのはかなげな食感と味が素晴らしかったのに、とらやはとっても高いくせして、どうも、いまだに「これだ」というのに当たったことがない。どうしたものか。
朝っぱらから、宅急便の配達電話で起こされる。「12時から14時」ということで指定しておいたはずなのに、どういうこと?と少々むくれながら出てみると、予想した商品と違って、
妙に馬鹿でかいものを抱えている。小さな下駄箱くらいはありそうだ。「24時間風呂」だ。
えええ???ブツだけ配達されたって、どうしろ、てんだ?いったい、この業者はどういうつもりなんだ?
と思いはしたが、佐川急便の配達員に八つ当たりしてもしょうがない。めちゃくちゃ重たい品物を受け取って、ともかく玄関に運び入れる。重い。
一息ついてから、
いつ取り付けに来るかわからない業者を待って玄関に置きっぱなしにしておくわけにもいかないので、一人では抱えきれないほどの大荷物をフーフー言いながら裏庭の風呂場外まで運ぶ。
冬なのに汗が出てくるほどだ。
すぐまさ、販売代理店に「いったい、どうなっているのか?」と怒りのメールを送る。
昼過ぎ、指定どおりの時間帯に「カラダスキャン」最新版が届く。ヤフーオークションで終了間際だったヤツに思わず入札して、落ちてしまった体重組成計だ。今もっている物の上級機で、
体脂肪率、内臓脂肪レベル、BMI、基礎代謝にプラスして、骨格筋肉(率&レベル)と体年齢もわかるというから、飛びついてしまったのだ。
本当は骨密度も知りたいのだが、それは測定法が別なのか、
そこまでは測れない。が、ともかく、「体年齢」とやらが、なにやら怪しげで面白そうだ。デザインも、今のよりカッコいい。
早速、取扱説明書を見ながら測ってみる。
緯度に合わせて重力補正をしてくださいとあって、なんか、妙に精密っぽいところがおかしい。
いつも計っていた数値より脂肪率は若干高くなったが(16%とちょっと)、
それにつれて(?)基礎代謝も多くなっている。筋肉量は「少なめ」と出るのに、筋肉率が30%を越したからか、体年齢は、なんと、39歳と出た。ええ??本当???と我ながら驚く。
お世辞でも嬉しいが、機械の言うことだから、プログラムミスでない限り、お世辞でなくホンマもんなんだろう。
解説書を読んでみると、いままでは風呂上りに測って脂肪率が減っただの、
増えただのと一喜一憂していたが、風呂上りの測定値は当てにならないということがわかる。な〜〜んだ。「14%」とか「12%」というのは、デマだったのね。これからは、朝起きてすぐに測ることにしよう。
いつまで待っても、24時間風呂の代理店から返事が来ないから、しびれを切らして電話してみる。「いま、メールを見たところで」とかなんとか言い訳を返しながら、
「商品だけ先に着くことになっていまして・・・」と答えるから、「そうならそうと、最初から言ってくれないと」と、またまた苦情を言う。この業者は、いちいち指導してやらないとアカンのか。
・・・ったく。
そうこうするうちに、取り付け業者から電話が入って、9日の午後ということで決定。ここまでこぎつけるのに、本当にあれこれ・・・。本当に、お疲れさま! だ。
夜に入って、Naoから電話。新しいうどん屋を開拓しようなどと言いながら車を走らせたが、結局「うどん道場」に落ち着く。
が、きょうもカッコいい店員はいなかった。残念だが、
別の男店員に尋ねたら「アンタはカッコ悪い」と言ってるようなものだから、「あのカッコいい店員さんは?」と訊くわけにもいかない。また、別の日に来てみよう。
日曜のOGC例会に備えて、抹茶を買いに大阪市内に出る。お正月だから、いつもの「千代の寿」よりワンランク上の「初昔」にしてみる。「初昔」を買うのは久しぶりだ。
中古CD屋のハシゴをして、DVDの「チョムスキー 9.11」、CD「コジ・ファン・トゥッテ」、バッハの「ヨハネ受難曲」、高校生ジャズピアニスト松永貴志の「TAKASHI」などなどを買う。
チョムスキーのDVDは映画館に行きそびれた作品で、テロ国家としてのアメリカを批判し続けているチョムスキーが、「9.11」を巡る諸問題について語ったものだという。
「コジ・ファン・トゥッテ」はカール・ベーム指揮の1955年録音、ウィーン・フィル盤だ。これのLP盤を初めて聴いてから30年くらいが経っているが、この曲の演奏で一番しっくり来る録音だ
(ベームが残したいくつもの「コジ」の中での話。ほかの指揮者の「コジ」は、1930年代のフリッツ・ブッシュ以外はほとんど聴かないので、・・・知らん。「コジ」は一途にベーム)。
一般的には1960年代にフィルハーモニアOrch.と録音したものが高く評価されるが、技巧的過ぎるシュヴァルツコップのフィオルディリージも、テノールバカ丸出しのアルフレート・
クラウスのフェルランドも聴いていて気持ち悪い。オケのフィルハーモニアも音が薄っぺらだし、どうして評判がいいのか、理解に苦しむ。55年盤は歌手たちが少々小粒かもしれないが、
普段の舞台で共演している者同士のアンサンブルは心地よい。
もっと評価されてもいい演奏なのに、耳の悪い評論家ばっかりだ。
朝方、元居候がやって来る。お正月の挨拶に来たみたいだが、ついでに、またしても「(長期出張が終わって大阪に)戻ってきたら、ゆっくり楽しもうや」と言い残していく。
「オレ、平野ちゃんのこと好きなんかなあ?最近は女とはやる気起きんけど、平野ちゃんとこんなんしてる夢、よう見るんや」などと言いながらぼくの尻をなでてくる。
「欲求不満なんとちゃうか?女は飽きたのか?」「そうかもしれんわ」
どヘテロの男も、15年も経つと「世界」が広がる、のか?
きょうも、Naoから電話がかかってくる。「ええ?また今日も?」「うん、たこ焼き食べに行こうや」「また??」
堺市駅商店街のたこ焼き屋に行ってみると、なぜか閉まっている。
時間的に遅すぎたのか?定休日なのか?
仕方がないから、難波・道頓堀の行列が出来るたこ焼き屋「大たこ」に行ってみる。ぼくも一度は食べてみたいと思いながら、
いつも行列が長くって、並んでまでして食べたくないと諦めていたのだ。きょうは遅いからか、行列はない。体を揺らしながら呼び込みをしている店員が、いかにも寒そうだ。
「日本一のたこ焼き」という謳い文句の店だが、中のタコは確かに大きいし味もいいとして、「5つで300円(6つだったか?)」という値段のほどのことはない。
ころも部分の焼き具合がイマイチだ。Naoと二人、首をひねりながら食べる。
食べ終わって駐車場から車を出すと、「あした一人で病院に行かなアカンから、道、教えて」と言う。
彼は中学校のときからの持病があって、定期的に大学病院まで行くことになっているのだが、あすはお母さんが仕事の関係で行けないので、一人で単車に乗って行くことになったらしい。
だが、Naoはとんでもなく方向音痴なのだ。お母さんと何度も通っている病院なのに、道を覚えていないと言う。
夜中に道順を教えてやって彼が覚えられるか、
はなはだ心もとないものがあるが、ともかく、行ってみようということで、ずっと南の方、大阪狭山市の近畿大学病院まで車を走らせる。道々、目印になるところを示しながら走ったが、
果たしてあすは一人で行けるかな????
朝、玄関を開けると、ゴミ袋が戻されていた。「コラ。今度やったら110番するぞ」と書いた紙が付いている。わざわざ中身をチェックして、お持ち下さったのだろう。ご苦労なことで。
年末年始はゴミ集めの日取りが変更になるんだろうなとは思っていたのだが、回覧版で知らせてくればいいものを、何も連絡が来ないから
(「引ったくりに注意しましょう」みたいなくだらん「お知らせ」は回してくるくせに、こういう大事なことは何も言って寄越さない。町内会長て、バカじゃないの?)、
いつもの収集日に出しておいたのだ。出したのは29日の朝だが、すでに年末休みに入っていたようで、そのままになっていた。
一週間もそのままにしておいたくせに、
あした辺りに年明けのゴミ集めを再開するだろうという時になって、わざわざ突っ返してくるヤツの神経もわからんが、この紙切れの書きようも異様だ。こんなことを書くヤツはどこのどいつだろう?
アイツかな?コイツかな?と(思い当たるのは2人だけだが)、あれこれ想像してしまう。
それにしても、暇なヤツがいたもんだ。こんなことで連絡されても、警察だって困るだろうに。
Naoが「バイト先の吉野家に呼ばれてるから、乗せてってや」と電話してくる。年が明けてから吉野家にもバイトに行くことになっていて、
ローテーションを決めたりといった打ち合わせがあるらしい。ということで、難波の吉野家に向かう。
10分かそこらで終わると言うから車の中で待っていたのだが、どうして、どうして。
1時間くらいはかかったか。寒いとトイレが近くなるぼくは、途中4回もナンバシティのトイレに行く。
だが、やっと出てきたかと思えば、店長があれこれ細かなことを言って来たと、大むくれだ。
せっかく乗せてきてやったのに、すでに働く気を失っている。無駄足だったみたい。
話を聞いてみると、食品を扱う店として当然だろうという注意事項もあったが、確かに、細かすぎる点もないではない。
普通の大人だったら「我慢して働きなさい」とか言うところだろうが、ぼくは「そうか。じゃ、辞めたら」と簡単に同意してしまう。
さんざんブツブツ文句をぶちまけた後、あちこちの店を回る。
ナンバシティ内の輸入食品店、コンビニ、中古CD屋、ショップ99、スーパー玉出、「うどん道場」・・・(きょうは、「うどん道場」のカッコいい店員がいなかったのが残念。
Naoもこの店員のことは気に入っているのだ)。
Naoはお母さんに頼まれたリンゴを買った後で、ゴミ袋を買いに立ち寄ったショップ99でかわいい観葉植物の鉢を見つけて、
「お母さんに」と買って帰る。
今年の三が日は、元旦は映画三昧、2日は年賀状の返事三昧、3日は狂言三昧となるはずだったのに、きのうは、何もしないまま夜になってしまった。
去年、賀状の返事をすっぽかしたせいか、
今年の年賀状はことのほか少ない。どうせ墨を磨って書くならもっと増えてから・・・、と思って様子を見ていたが、今年から2日も配達してくれることになったにもかかわらず、
増えないままだったのだ。ちょいと、拍子抜け。
きょうの狂言三昧は、まず、大槻能楽堂の新春自主公演から。始めは行く予定にしてなかったところ、千作さんが「餅の風流《ふりゅう》」で出る、
しかも狂言方が10人も橋掛かりに並ぶ演目だと知って、慌てて年末にチケットを買いに走ったのだった。早めに行っていい席が取れるものなら早く行こう、
だが、寒い中を外で待たされるのも難儀だなと、ころあいを見計らって出かける。
が、ぼくが着いたときにはすでに開場されていて、みなさん、続々と中に入っていた。
場内はすでに熱気むんむんで、「自由席」というヤツは、なんと、後ろの数列だけだ。それでも、座れただけでも幸運というべきで、ぼくが座ってからもお客さんはどんどん入ってきて、
ずらり立ち見が出るという盛況ぶりだ。いつもの大槻能楽堂の自主公演はこんなに満員になっていなかったように記憶するので、ちょいとビックリする。
新春ゆえ、はじめは「翁」から。
大槻文蔵さんの翁、茂山千五郎さんの三番三。ぼくは能はどうしても居眠りしてしまうので苦手なのだが(特に「翁」)、きょうのは別格だったのか、最後まで緊張感溢れる舞台に引き付けられ続けた。
なにがどう違うのかはよくわからないのだが、まず、この大槻能楽堂の音のよさがあるのかもしれない。前から感じていることだが、ここの音はぼくが行ったことのある能楽堂の中ではピカ一だ。
ピーンと伸びる残響がとても澄んでいて、背筋が伸びるような気がする。
しかも、お囃子が始まってすぐ、きょうの笛はなんて素晴らしいんだろうと驚いて改めてプログラムを見てみると、
藤田六郎兵衛とある。なるほど、名人の笛はこんなにも違うものかと、息を呑む。気迫の籠もった笛の音が会場の隅々まで響き渡る様は、鳥肌が立つほどだ。
大槻文蔵さんの「翁」は、
決して大きな声ではないけれど、それでいてよく通る。翁の面を着けていても、謡の文句がちゃんと聞こえる。こんな経験は初めて(?)だ。
千五郎さんの三番三も、どこがどうとはわからないものの、
今まで見た三番三の中では一番しっくり来た。緊張と弛緩のバランスがいいのだろう、か。
ところが、これから三番三の舞が始まるというところになって、「きょうの囃子は調子がおかしい・・・」
とかなんとか言い出して、休憩(?)に入ってしまう。そこへ「餅の精」が現れて・・・千作さんの「餅の風流」というのは、「翁」の一部だったのね。独立した狂言じゃなかったんだ・・・。
千作さんは餅らしく、白い着物で全身を隠して丸まった感じで登場する。登場した瞬間、場内にホッとしたような空気が漂って笑いが起きる。まだ何もしてないのに、
「ああ、千作さんだ」と思っただけで、場が和む。
白い着物から顔を出して見せると、頭の上に鏡餅が乗っかっていて、また、どっと笑いが起きる。登場して退場するまでにしゃべる台詞は二言だけだった
(と記憶する)が、それだけで観る者の心をつかんでしまう。この「存在自体のおかし味」は、どこから来るのだろう?
橋掛かりに並んだ狂言師も豪華メンバーだったが、
ちょうど列の中央に善竹忠亮くんが凛と座っていたのが、ぼくには嬉しかった。彼の舞台はたまにしか見られないが、相変わらず美しい。
「翁」が終わった休憩時間にロビーで振舞い酒or甘酒が出されたので、ぼくは甘酒をもらう。あまり甘くない甘酒でビックリしたが、こういうときに出されるサービスは日本酒かワイン、
コーヒー(だけ)というのが定番なだけに、アルコールもコーヒーも嫌いなぼくには、甘酒サービスというのは嬉しかった。
休憩時間から戻ってくると隣の席から酒臭い息が漂ってくるというのはじつに迷惑な話なのだが、酒飲み連中は鈍感だ。そういう点でも、甘酒というのはありがたい
(お正月だけだろうな)。
休憩後の仕舞、「羽衣」は、やっぱりぼくにはよくわからないまま終わる。途中居眠りしてしまったのも、いつも通りだ。
どうしても、能では寝てしまう。
ぼくよりずっと熱心に茂山家の追っかけをしている知り合いの女性と一緒に、地下鉄の途中駅で別れるまでいろいろおしゃべりしながら帰ったが、
この後の夜の部の「天空狂言」は、彼女の知り合いで来られなくなった人からチケットを譲ってもらって行けることになったのだ。去年も同じように譲ってもらって一緒に行ったのだが、
今年はこれから会議があるんだそうで(別の狂言会のおっかけで行けないのかと思ってたら)、ぼく一人で楽しんでくることになった。
譲ってもらったチケットを手に大阪能楽会館に行ってみると、なんと、ぼくの席は一番前の中央。舞台との間には白石が敷かれた土間があるから、手を伸ばしても舞台に届くわけではないが、
こんなまん前で狂言を見るのは初めてのことだ。隣の席には、出演者の誰かさんに狂言を習っているらしき女性三人組が陣取って、あれやこれや大声でしゃべっていたが、彼女たちはこういう席に慣れてる(?)
みたいだ。きっと、チケット取りは手早いんだろう。
狂言が始まる前に、宗彦くん、逸平くん、童司くんの3人が出てきて、お正月トーク。面白おかしく茂山家の内幕(?)を披露して、
次の狂言に繋いでいく。童司くんの「狐」披き、HANAGATA狂言の幕開きと、今年も茂山家はいろいろな「挑戦」をしていくようだ。
演目の一つ目は千之丞さんの「文蔵」。
無断で休暇を取ってしまった太郎冠者を懲らしめてやろうとする主人が、京の伯父の所でご馳走になったという太郎冠者から、どんな珍しいものを食べさせてもらったか聞きだそうと、
ご主人が日ごろ読んでいる本の中に出てくるものですと言うのを真に受けて、「石橋山の合戦物語」を語って聞かせるという話だが、名調子で語り始めた千之丞さんが、珍しく言いよどんだり、
同じところを繰り返したりするというハプニングが3度ばかり起きた。横で控えている太郎冠者の丸石やすしさんが、すかさず台詞を伝えて事なきを得たが、一瞬どきりとする場面だった。
直前のお正月トークで、去年「那須の語」を披いた童司くんが、「楽しかったです。でも、まだまだおじいさん(=千之丞)のようにはできません」と言っていたから、
きっと、千之丞さんは語り物は得意なんだろうが、名人でもこんなことがあるんだと、めったにないだろう場面を見させてもらった。弟子に当たる丸石さんがピタッとフォローする様も見ものだったが、
なんせ、「石橋山合戦記」の語りは長い。よく覚えているものだと感心する。
このド忘れを別にすれば、やはり、千之丞さんの語りは名調子で、じつに心地よい。
後半は、千作さん出演の
「貰聟《もらいむこ》」を挟んで、最後が「仁王」。仁王になりすまして参詣人からお供え物を騙し取ってやろうと目論んだ博打打ちが、欲をかきすぎて失敗するという話だが、
当主千五郎さん演じる「仁王さん」に、茂山家の面々がアドリブで願い事をするのがおかしかった。
「なにとぞ、いいお嫁さんを」と願う逸平くんのは平凡だったが、
朝からこれで5つ目の舞台になるという千三郎さんの、「これでは身がもちません。もうこんなことがないよう、なにとぞ、御当主様、仁王様」には場内爆笑。5月に「狐」を披く童司くんは、
いま体力づくりにとタバコをやめているが「吸いとうて、吸いとうて堪りません。なにとぞ、強い意志を」と訴えて、これも大笑いを誘っていた。
童司くんくらいはノン・スモーカーでいてほしいと思っていたぼくとしては、ちょっと残念な話だが、これを機会にやめたらいいのになと思う。童司くんだったら、
「いまどきタバコを吸う男なんて時代遅れ。ダサッ! 」くらいのことを言ってくれてもいいのに・・・。おまけ(?)に、茂山家にも一人くらい「ゲイだから結婚しません」
と言うのがいてもいいのにとも思うが、いない、かな?
今年も笑い初めは茂山狂言、ということで、楽しい一日も終了。
夜、元居候から「おめでとう」電話。風邪を引いてるようで、声が割れていた。彼も歳をとったからか、このごろよく風邪を引く。
ぼくの三日間の献立は、元旦:雑煮(この日ばかりは、椎茸のダシ)、2日:おでん(昆布ダシ)、3日・4日:デリーのカシミールカリー (もちろん、チキン)。毎年、同じ。
今年も新しい年が来た。「おめでとう」と言えるほどめでたいことは何もなく、淡々と時間が過ぎていくだけだが、毎年、元旦は「映画三昧」の日にしているから、珍しく早く起きる日になる、
はずだった。・・・が、やっぱり、早起き出来なくて、「予定」は狂いっぱなしとなった。
毎年のことながら、本当に観たい作品を上映している映画館は、元旦休みの所ばかりだ
(梅田ガーデンシネマ、テアトル梅田、シネ・ヌーヴォ・・・)。次善の策として、「Mr.&Mrs.スミス」「ロード・オブ・ウォー」「綴り字のシーズン」を選び出したが、
行動計画表を眺めながら「あ、遅れた。また、遅れちゃった・・・」と我ながら呆れているうちに、夕方になってしまった。やっぱり、三本は無理、か。
結果的に、三番手だった「綴り字のシーズン」
(4時40分〜の回)をまず観ることにして、その後でブラピを採るかニコラス・ケイジを採るかは、そのときの気分に任せようと、とりあえず家を出る。こんなことなら、
2時からの狂言会に行けたじゃん(行けなくなった人に「チケット救済」を頼まれていたのだ)、と思いはしたけれど、時間は戻ってこない。
正直言うと、
三本の中で一番まともそうな「綴り字のシーズン」は、リチャードー・ギアが嫌いだから、後回しにしたかったのだ。20年くらい前に「愛と青春の旅立ち」を見に行って、
あまりにバカバカしい話だったからうんざりして眠っていた記憶が、ぼくのリチャード・ギア初体験だ。彼に責任があるかどうかは知らないが、それ以来、彼の出る作品は敬遠してきたのだ。
さて、その問題の「綴り字のシーズン」。問題のリチャード・ギアは神秘学を研究する大学教授、妻(ジュリエット・ビノッシュ)は薬品会社(?)の研究員というエリート一家の話だ。
子どもは大学生の息子と小学生の娘。仲睦まじい家族のように見えながら、じつは、ギクシャクとしたものを秘めている。まだ小学生である娘が、難しい単語のスペリングを言い当てる「スペリング大会」
で勝ち続けていることが父親に伝わってから、すべての歯車が狂いだす。
それまではチェロの練習に付き合ってくれていた優しいお父さんが、娘の勉強にかかりきりになるにつれ、
ほったらかしにされた息子は不満を募らせる。妻は、両親を交通事故で失ったことによるトラウマに悩まされ、夫の説く「神秘学の教え」に洗脳(=汚染)されて、破片を繋ぎ合せれば「世界(=両親)」
を再構築することができると思い込み、他人の家に忍び込んではキラキラ光る「破片」を持ち出してくる(=泥棒)。
「教授」はスペリング大会を勝ち進む娘に入れ込んで、そんな家族の心の動きに気づくこともない。
ぼくは、このアメリカで大人気だという「スペリング大会」にはまったく関心がない(いろいろな映画でも出てくるシーンだから、
本当に大人気なんだろうけど)。複雑なスペリングの成り立ちを考えてみることで、言葉の歴史・文化の流れをも考察することができるというのは、たぶん、エキサイティングな知的作業なのだろうが、
それを「勝ち抜き戦」という形で競い合わせることで功名心のレベルに貶める神経が、ぼくにはさっぱりわからないのだ。
さらに、「神秘学」などというものが学問となり得るというのも、
理解に苦しむ。「お遊び」の延長としてなら、それはそれで面白いのだろうが、「学問」として人に講じるほどの価値があるとは思えない。
だから、やっぱり今回も、
「リチャード・ギア教授」にはさっぱり共感できないまま、観終わることになった。
娘が全国大会の最終段階でわざと(?)間違えてみせることが、
ばらばらになった家族の心を一つに繋ぎ合わせることになる、らしい、というのもさっぱり理解できない。一番なんかになってもしょうがない、というのはその通りだが、もともと「スペンリグ大会」
なんてバカバカしいんだもの、いまさら、という感じだ。
妻の「心の病」も息子のヒンズーかぶれも(カトリックがバカ臭いというのはその通りだとして。どこの宗教も、
同じくらいにバカくさい)、最後に至って、それがどうしたの?といった感じで、突然、ニッコリ微笑んでおしまい。いったい、何が言いたいのだ?と首を傾げながら映画館を出ることになった。
嫌いなリチャード・ギアの顔は、白髪の感じ(だけ)が晩年のレナード・バーンスタインを思わせて、悪くはなかった、かな。だが、大人顔負けの名演技を披露したと宣伝されていたフローラ・クロスについては、
どこがどういいのか、さっぱり。不気味な表情、ませた顔つきのどこがいいんだか?
映画の「作り」はしっとりした感じを出していて、「良心的な作品」ぶってるんだけど・・・。
二番手は「ロード・オブ・ウォー」にする。1000円の日だからこそ、娯楽作品を観るべきだろうとは思ったが、やっぱり、ちょいとはまじめなのにしておいた方がいいだろうと判断したのだ。
世界各地の戦争、紛争につけ込んで武器を売りまくる「死の商人」を、ニコラス・ケイジがリアルに演じているということで、正月早々、社会派ドラマで暗い気分になるのもナンかなあ?と思ったのだが、
面白おかしく作られていて、重苦しい気分に押し潰されることなく見終わることができた。が、逆に言えば、ちょいと軽すぎる気がしないでもない。
扱っている題材はとてつもなく重たいものだが、ユーモアたっぷりに描かれているせいか、笑える。笑えるのはいいとして、でも、こんなんでいいの?という疑問も残る。
扱われる銃、大砲、戦車などなど、本物を使っていてリアル感は抜群! と謳われていたが、どうせスクリーンの上で観るだけなんだから、本物の銃であろうと、
レプリカであろうとオモチャであろうと、実際に手に取って見るわけではないブツの存在感に、そんなに大きな違いが出るとも思われない。見る人に「リアル」な感じを与えるかどうかは、
「本物」を使うかどうかではなく、それをどう扱って見せるか、にかかっているはずだ。
緻密な取材に基づいているとも言われていて、それはそうなのだろうが、
アフリカの某国のネジの緩んだ大統領親子の緩みようは、実際にそうだったとしても、もう少し抑制して描いた方が観客には「リアル」に見えただろうと思われる。・・・などなど、面白い反面、
いろいろと疑問も出てきた作品だった。
「普通の青年」がこの商売に手を染めていく過程にしても、最初の商品(=武器)を手に入れるための資本はどうやって工面したんだろう?という、
初歩的な疑問が謎解きされないまま話が進んでいって、ちょっと、ちょっと・・・という感じだ。あ、それは「企業秘密」か。
まあ、それにしても、
逮捕されたケイジが易々と釈放されていく結末部分には、戦慄が走る。「彼が逮捕されて一番困るのは、世界一の武器密輸者であるアメリカ大統領である」という真実が、
観客に突きつけられてこの映画は終わる。不正選挙で当選したと非難されたアフリカの某大統領が、不正だらけのブッシュ選挙を報じた新聞を示して、「人のことが言えた義理か」
と不敵ににやつく部分も含めて、観客の知性と判断力が問われる作品だ。
ブッシュの犬=小泉は見たかしら?見る気、ないだろうな、絶対に。
まったくの余談(?)だけれど、
弟役の役者、カッコよかった、かも。もっとしっかり正面から映してほしかったな。
映画が始まるまでの時間潰しにTSUTAYAに入ってみると、「セックスと嘘とビデオテープ」の中古DVDが出ていたから、ヴィデオテープは持ってるんだけど、DVDの方が画像が綺麗だから、即、買う。 15年くらい前にすごく好きだった映画で、主役のジェイムズ・スペイダーにうっとりしていたものだ。楽しみ。
家に帰り着くと、新着メールが26通も来ていた。
どうしたんろう?と開けてみると、まさくんが嵐山旅行のときに携帯で撮った写真を送ってくれたのだった。一回に何枚も送れないのだろう、
一つずつ分けて送ってくれたみたい。ずいぶん、手間をかけてしまった。
早速、「保存」して「日記」にアップする(保存するのにちょいと手間取ったけど)。
夜になって、Naoから「おめでとう」電話がかかってくる。そして、やっぱり、「おめでとう」だけでは済まなかった。
「スパゲッティが無茶苦茶食べたいねん」ということで、
ジョリ・パスタで今年最初の「食事デート」(お雑煮を食べた後だったぼくは、ケーキセットだけ)。お餅大好き少年のNaoが、正月だというのに雑煮でなく、
スパゲッティというのも面白い。
食べ終わると、今度は「泉北一号線を飛ばそうや」とねだってきた。終点まで走ってUターンしようとしたら、
「きょうは、(タイル屋の)親方が日根野に行くときに走った道を行ってみようや」と言う。2日は朝刊配達が休みだから、夜更かししても大丈夫だと踏んだのだろう。
夜中に初めての道を走るのは緊張するものだが、ぼくもちょいと冒険気分になって裏道に乗り入れる。目的もなしにただただ走り続けたが、どこまで走っても、どこまで来たのかわからないから、
適当な所で引き返したが、予想通り、帰り道ではNaoくん熟睡。今年も甘えん坊は治らない、か?
「いっぺんに生まれ変わるの、無理やろ」だそうなので、成長するのを待つしかない。