徒然硯

徒然日記――2003年12月(毎日書くとは限りません。念のため)

    
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12月31日(水)

今年最後の日。だのに、一日中家から出ずに、冴えないことおびただしい。
本当は難波辺りに出て買い物してこようと思っていたのだが、あいにくの雨模様だ。とうとう年賀状用の和紙葉書も買いに出られずに、 除夜の鐘を待つ身となってしまった。
まあ、そんなにたくさんの賀状が来るわけじゃないけれど・・・毎年順調に減少傾向にあって、年賀用の切手を少しずつ減らして買っているのに、毎年余るようになった。 不景気のせいか、人望のなさか。
仕方なく、家に籠もって久しぶりにホームページ更新の準備をする。最近は原稿を頼まれることもあまりないので、新しいのは、ない。リバティ大阪での展示用に書いた、 「わたしの主張」(だったかな?タイトルは)パネルの文章が、唯一の最近の原稿だ(寂しい)。
あとは、10年以上前に書いたものを載せた。
「KICK OUT」に書いたのは、 この間のリバティのセミナーでも引用した「ぼくのセックス観」みたいなもの。改めて自分で読み直してみて、いまも課題としては同じものを抱えていると感じる。
年が明けたら『部落解放』に連載することになっているので、もうすこし順調に更新できるだろう(と、ところが、何を書こうか、まったく思いつかない。もうすでに、困った、困った・・・)

みなさん、来年もよろしく。

12月30日(火)

お昼過ぎに玄関で呼ばわる声が。え?家主が家賃の催促に?新聞屋が集金?とちょっと慌てつつ、とりあえず出てみる(家賃はこの間4か月分を払ったが、まだまだ追いつかないの)。
と、長嶋一茂をさらにボワンとした感じの、 バイトの郵便配達少年がポストに入らない定形外郵便を抱えて立っていた。ああ、和田毅くんのサイン色紙ね。かわいい(サインも配達少年も)。<これ→サイン色紙なら肖像権問題にならんでしょう
折れ曲がらないようにダンボール箱に入れられ、新聞紙にくるんで・・・「ワシントンポスト」だ。あとで、読んでみよう(ブッシュのイギリス訪問のニュースが。読売新聞がWashington Postも配信してるのね)。

以前とてもお世話になっていた新庄くんのファンサイト「新庄! We love you」が、12月はじめから復活していたのをきのうになって知った。
きょうはそこの掲示板に、 メッツの公式HPが掲げる2003年ベストプレー・コーナーに、新庄くんのプレーが載ってるとあったから、久しぶりに覗いてみた。real playerでの動画に一つ(5.16)、音だけのに一つ(5.23)、それから「gallery」に一つ(日付わからず)。 全部合計しても年間40プレーしか選ばれてない中に、シーズン前半しか出させてもらえなかった新庄が3つも選ばれている。
改めて悔しさをかみしめる。
きのうのスマ&スマでは「どうせ3年と決めてたもん」とか 「通用しないと思ってたもん」とかって笑いを取ってたが、そんな「ボケ」ぶりを期待してたんじゃないのになあ。2年目、3年目は老いぼれ監督に苦しめられて残念無念。ほんまに・・・監督さえましだったら・・・
来年こそは。

12月29日(月)

久しぶりに外に出る。家に籠もってる間に恋占いが5点満点になったり4点になったりしていたが、何もしないまま、何も起きないまま蒲団に入っていた(いいこと起きるわけない)。
蒲団に入ってたから(普通なら)散財するはずないのに、 やっぱり、オークションであれこれゲットしてた関係で、起き上がったきょうは振込みに走り回る。和田くんのサイン色紙やらカード、新庄くんのカード、志野茶碗・・・、それと、来年からOGCも会員になることにしたQWRCに、 会費納入。
走り回ったついでに、きのう寝てる間に配達に来た品物を、松原郵便局まで自転車で取りに行く。近所の郵便局に転送を頼むと、「また買ったんですか?」て思われちゃう(買ったんだけど)。 それに運動もしないと。
じつは12月に入ってから、学校にも自転車で通うことにして、雨の日以外は行きは25分、帰りは18分のペースでペダルをこいでいる(ペースの違いは坂の加減?と、気分のせい。学校が近づくにつれ、ペダルの重くなること)。 おかげで、体脂肪率の調子はいいみたい。家でごろごろしてる日は、ちゃっかり体脂肪も増えている。
きょうは、出かける前に量ったら15%超、走り回った後の夜に量ったら13%を切っていた(まあ、風呂上がりは少なめに出るのだが)。 この調子だね。
それにしても、年末は嫌い。町中どことなくせわしなくなるし、スーパーではいつもと同じ商品が、ちょっと紅白の飾りをつけただけで値上がりしているし、なにより、年始は店が閉まってしまう。 何を食べたい・食べようといった積極的意欲もなく、店をぐるぐる回りながらそのときの思いつきで買い物してる者としては、買いだめするなんて芸当は能力の限界を超えている。困ったことだ。
早く正月終わってしまえ、て感じ。

12月27日(土)

結局、きょうは一日中家を一歩も出なかった。夜にはシンフォニーホールで、男だけの「第九」というやつがあって、行きたかったのだが。
ソプラノ・ソロもアルト・ソロも男が歌うという企画で、 たぶん初めての試みだろう。面白そうだが、ちょっと危うさも感じる「第九」だ。ソプラニストの「第九」ねえ・・・今回のが失敗に終われば二度と聴けないかもしれない、 というわけで、行っておくべきコンサートだったのだが。
昼すぎには熱もだいぶ下がってきたんだけど、まあ、家に籠もっていた。
もともと、ぼくは年末に「第九」を聴くというのが、猫も杓子も状態で好きではない。朝比奈さんが毎年29日30日にやっていたのも知っていたが、一度も行かなかった。秋に倒れて、もうこれが最後かもしれない、 という段になって初めてチケットを買ったのだが、結局、二度と指揮台に登ることなく、逝ってしまわれた。変なこだわりを捨てて、一度くらい年末の朝比奈第九に行っておけばよかった、と悔やんだところが、後の祭りだ。
年末に「第九」を聞いたのは大阪に来て間もないころ、宇宿允人「ヴィエール・フィル」、延原・テレマン協会「100人の第九」、山田一雄「京都市交響楽団」のハシゴをしたときだけだ。まあ、確かに年末の賑々しい時期にあってるかもね。

それにしても、猫って賢い。
就寝時間になるとぼくの左側に飛び乗ってきて、蒲団を持ち上げてやると胸の上を歩いて右側に移動、右腕を腕枕にして前足と顔を乗せ、胸に体を押し付けながらゴーゴー嵐のように喉を鳴らして寝るというのが、 今年の習慣になっていたのに、熱が高くなった昨夜は掛け布団の上の足許で丸くなって夜を過ごした。熱が下がってくるにつれて、いつのも定位置に移って来たのだ。
Takeにはバイキンが見えるのかしら?

12月26日(金)

「OGCにゅうす」印刷発送。12時に鶴橋に集合して、河村くん・熱田さんの3人で年忘れ(?)お食事会をしてから、ドーンセンターに向かう。
というわけで、だいたいいつも時間より遅れて始まる(例会も作業も)OGCが、 珍しく30分も前、1時半から作業開始。しかも、今月は同封するチラシもないし「にゅうす」も6ページ立てで薄い(6ページも8ページも作業の手間としては同じだが)ので、あっという間に作業終了だ。 3時よりずいぶん前にドーンセンターを出る。
終わってから、ケーキを食べる。毎日おいしいケーキを食べていられたら幸せだね。
二人と別れてから、もうじき閉まってしまう松坂屋に入ってる和菓子屋「松葉屋」で生菓子を買う。 それから淀屋橋に出て、正月用のお茶を買う。いつもなら、その後、あちこちショッピングして散財するところだが、きょうは風邪っぽくて歩いていても頭がふらふらするので、大人しく家に帰る。散財せずに済んでよかったぁ。
帰り着くと、早速「松葉屋」のお菓子でお茶をいただく。ぼくは京のお菓子案内の管理人さんみたいに、「ここの○○は栗の香りを生かすために小豆の香りを抑えている」 みたいな微妙な違いはわからない。ただ、うまい、うまくない、くらいしかわからないので、堺の唄寿堂の親戚だという「松葉屋」に期待して買ってみるのだが、どうも唄寿堂のお菓子に感動したような感動はない。困った・・・
夜はもっぱら、寝る。街に出てるときから熱が上がってきてることはわかっていたが、蒲団に入るとますます上昇、38・7℃まで上がった。まあ、ぼくは39℃あっても、家の中にいる限りはどうってことないんだけど。

12月25日(木)

きのうは渡辺「すぽると」の日だったのに、忘れてた(彼が有名選手のお宅を訪問して、食卓を拝見する新企画ね)。
きょうは宝塚での福田進一リサイタルに行こうと思ってたのに、結局家にいた。CDで聴く彼のギターは、 弦の音がナマ過ぎていま一つ好きになれなかったのだが、この間、名古屋で大萩くんとステージを共にしたときの演奏では、そういう不満はなかった。録音のせいかもしれない。ともかく、日本のギター界第一人者のコンサートは聴いておきたいと思ったのだが・・・
朝起きたら、ちょっと喉が痛くなっていた。夕方からは微熱ぎみ。それに、あしたは「OGCにゅうす」の印刷発送作業の日だから、原稿を書き上げなければいけない。というわけで、家にこもって・・・のはずが、 やっぱり、夜中になるまで原稿書きは再開しなかった。コンサートに行ってても同じだったね。
その代わり、ゆうパックやら宅配やらが次つぎ荷物を持ってくるのを受け取ることが出来た (ハッシーからの電話も。37分間。今度の電話は通話時間が表示される)。ダイエーの和田くん、斉藤くんのサインボール、瀬戸黒の茶碗・・・
きのうは近所の郵便局で、「平野さん、何買ってはるんですか?」 と笑われてしまった。「そろそろ止めないと、破産や。毎日、毎日、振り込んでは受け取って・・・」と大笑い。笑い話じゃないよね。

さあ、原稿書くぞ。今月は6ページ立て、かな?この間、「最近、薄くなっちゃって」と笑われたから、本来の8ページ立てに戻そうと思ってたんだけど、早く書いて早く寝ましょ。ゴホン、ゴホン。

12月24日(水)

泣く子も黙るクリスマス。ぼくはクリスチャンじゃないし宗教は大嫌いだが、こういうときだけ最大限(?)に利用する。
例のにはクリスマスカードを、やっくんと卒業生のNにはeメールを送った (先が携帯だからeカードは送れないので、ただのメール)。とは言え、きょうのメインは、きょうが最後の「まあくんチェック」のはずだった・・・妻なる人の代わりに3学期は育休に入るまあくんの、きょうはその見納めだ。
ところが、職員会議はサボって事務室にいたし、体育館での終業式ではお気に入り生徒S(下の名)と元No1.S(苗字)の方に気を取られてて、まあくんチェックが疎かになってしまった。ま、いい。 がいるもんね、と強がってみる。
家に帰ってみると、そのからメールの返事が来ていた。というわけで、のことはこれから「まさくん」でいくことにする。仲のよい同僚教師と相談して 「まさくん」ではどう?と、本人さんにOKをもらったのだ(「まあくん」「やっくん」はぼくが勝手に呼んでるだけ)。
じつは「まあくん」と「まさくん」とは、偶然にも一字違い(下の名、ね)、 漢字でも平仮名でも一字違うだけというラッキー(?)なことになっている。共通する「雅」の字はぼくが一番(?)好きな字で、小説を書くときがあったら主人公の名には「雅」の字を使いたいと常々思っていた (ほかに「樹」「龍」が好き。3つとも使える名前はないか、真剣に考えた時期がある)。何年か前に、もうじき子どもが生まれるという生徒から「先生、どんな名前がいい?」と訊かれて、「突然訊かれてもなあ・・・」 「好きな字でもいいから」「じゃ、『雅』」と即座に答えたことがある。
ま、だからと言って、ナニということもないんだけど。

画廊での「平野展」の件。4月の第二週に変更になる。少し先送りになった分、いろいろ準備の余裕も出てくる、かな?
準備、と言えば、「OGCにゅうす」。26日に印刷発送すると決めたのに、例によって原稿がまだ全然。 そろそろ書き始めないとね、と言いつつ、のらりくらり・・・明日の晩は宝塚での福田進一リサイタルに行こう、と。だから、いまから少しでも書いておかないとね。

12月22日(月)

予定通り、の作業所に名刺を持って行く。ぼくの家から真っ直ぐ南に下がった辺り、少し入り組んだ住宅街の中にあったが、自転車でぐるぐる回っているとかわいい看板がでっかく揚がっていてすぐにわかった。
二階にとんとんと上がっていくと、わりと広い部屋一杯にほんわかした空気が漂っているその隅で、ギターの稽古をしているを見つける。作業所に来ている人と稽古していたのに悪いかな?と思いつつ、 しばらくおしゃべりしてもらう。といると楽しい。
学校の生徒がお世話になってるソーシャルワーカーがさっきまで来てて話し込んでたとか、お母さんが、10年くらい前にすごくお気に入りだった焼肉屋のバイト高校生の出身高校に勤めてるとか、 意外なところでつながりがあることもわかって、面白かった。
もアルコールに弱い人だということも確認、「呑み会って、(飲まない人にとっては)腹減るよねえ」ということで一致した。また今度、食べ会しましょうという話も出て、 やったね、て感じでニンマリ。
ホームページの日記に名前載せてもいいかな?と聞いてみる。いつまでも「彼」では話がややこしいし、じつは、同僚のお気に入りまあくんと(下の名前が)一字違いだったりするので、 混同しないようにしたいのだ。漢字でもひらがなでも一字だけの違いというのは、偶然のこととは言え、ぼくとしては嬉しい。ホームページ読んでから返事ちょうだい、ということでお暇する。
階下では雑貨屋さんを経営していて(フリーマーケット)、ちょっと見せてもらう。安い またまた買いたくなっちゃいそう・・・困るなあ、なんて言いながら、「また来る口実できたね」
しかも、外に置いてある自動販売機、 1本100円で売っている。こんなに安い自動販売機は見たことない(高めのはしょっちゅう見るけど)。あいにく、ぼくは自動販売機でほとんど買わない人なんだけど、見かけないお茶の缶があったので試してみようとしたら、 売り切れだった。またね。

突然の話だが、ときどき行く画廊から、3月下旬の1週間を使って何かやらないか?という話が持ち上がった。え??なにか、て・・・別に、「芸」ないんですけど。
それでも、 『アンチ・ヘテロセクシズム』の表紙に使った作品を描いた人(あ、このHPにも作品提供してもらってる金子さんね)とあれこれ話して、「ゲイ、フェミニズム、エイズとアート」みたいなノリで彼の知り合いの画家に作品を描いてもらったり、 メモリアル・キルトを展示したり、シンポジウムをしたりという感じでどうやろ?と、少しずつ輪郭が見えてきた。
まあ、有名人をゲストに呼んで客寄せすることも必要だろうけど、 作業所のが障害者問題とセクシュアリティの問題を絡めたこともしたいと言ってたから、セッションを組むのも面白いかもしれないと、ちょいとノってきた。

オークションでゲットした新庄のカラー・ネガフィルム、郵便局に取りに行ったのに、夜になって気がついてみれば、ない。郵便局に忘れてきたのかなあ?だったら、電話がかかってきそうなもんだが・・・ 忘れ物を誰かに持ってかれちゃったのかしら?んなわけないよね(中身もわからないんだから)。
しばしガッカリしていると、玄関先に置いたままになってるのを見つける。そう言えば、 に早く会いに行こうと慌てて家を出たから、そのまま玄関に置いてたんだった。
見つかってよかった。メガネ国際総合展でのサングラス・ショットだが、やっぱりカッコいい。 プリントした写真もついてきたけど、このネガをカメラ屋に持ち込めば、もっと大きい新庄も出来てくるわけね。どこまででかく出来るかなあ?

12月21日(日)

松原郵便局に寄って、留守中に配達された大萩康司くんの東京のチケットとオークションの戦利品とを受け取った後、四天王寺に行って、久しぶりに市を見て回る。今年最後の市だ。
いつもより店の数も多いし、 客の数も多い。露店の間を歩くのも一苦労だ。場所もいつもと違う店が多くて、様子が掴みにくい。もっと早めに来てゆっくり時間をかけて回らないと面白くないな、あした出直そうなどと思い、早めに境内を出る。 が、よくよく考えたら、一週間続けて開いてるのは春と秋の彼岸のときだけだった・・・

早めに引揚げたのは、リバティ大阪にも行っておきたかったからで、じつは、特別企画展をぼくはまだ見てなかったのだ。 いつもセミナーの時間に合わせてギリギリに来てた(遅刻もしたけど)から、見ている暇がなかったわけ。見てないことは黙って「講師」をしていたのだが、打ち合わせのときと実際の展示とがどう違うのか、 やっぱり確かめておかなくちゃいかんだろうということで(当たり前か)、最終日にようやく間に合ったような次第。
常設展示の部屋から「性的少数者の現在」の部屋に入ると、いっぺんに平板になった感じがする。 ほかの展示は部落・在日・障害者・女性差別等々、実際の「ブツ」を見せているところが多いのだが、ここでは文章パネルが大半を占めて、(事件の)写真も少ないし「ブツ」はもっと少ない。 パッと見の印象は弱いに違いない。運動側の蓄積が浅いということを改めて感じた。
まあ、その代わり、現在活動している「当事者」が顔写真付きで発言しているパネルがたくさん掲げられているのも、 この部屋の特徴であるかもしれない――これだけたくさんの人が顔を曝せるような時代になったんだねえ・・・
来館者はこれらの「発言」をどう読み取ったのだろうか。いつか、撒いた種が実るときは来るのだろうか。
問題の採り上げ方に偏りがあるという批判を受けたが、 この展示を見る限りでは、現時点で可能なエリアはカバーできているのではないかと思う。性別や性的指向にこだわらない人の発言パネルがわりと多くなっていたのも、批判を受けたあとの対応を反映しているのだろう。 5年前だったら、ここまでには至らなかったに違いない。
ちょうどひととおり見終わったころに担当の学芸員が顔を出してくれたので、この間にいろいろあったことを振り返ってあれこれ話す。 「当事者」の間での立場や性格の違いと突きつけられた批判、展示(方法)の難しさ、セミナーでの遣り取り、参加者にいい場を提供できたか(特にきのうの参加者)・・・
担当者はぼくのホームページの日記を見てきたばかりだったようで、 「話し合いはちゃんと聞いてたつもりだけど、ほかの事に気を取られてて・・・」と言うと、笑っていた。そこで、渡りに船と、のことも少し話す。「100点満点の200点だね」
あすはの職場に名刺を届けに行こう。 打ち上げのときにに渡した名刺を、と一緒に来ていた女性も欲しがっていたと駅まで送っていったから聞いて、持って行くよと答えたのだった(「口実が出来ましたやん」とみんなに笑われる)。
ちょっと話ができるかも。忙しくてダメかな。

12月20日(土)

リバティ大阪のセミナー最終回。きょうは1時から打ち合わせということを聞いていたので、がんばって早めに家を出る。
きょうのテーマは2回目、4回目、5回目のテーマに関連して参加者が討論し合うという企画だ。 それぞれの回に出席した人たちが話し残したことなどについて意見を交換するという、まあ、珍しい企画ではあるだろう。参加者たちがすべての回に出ているか、どの回に出ているか正確に把握できているわけではないから、 きょう来る人たちの間でうまく話がかみ合うか、やってみなければわからないという、面白さと不安を併せもった企画だ。一応「打ち合わせ」はしたけれど、結局やってみなきゃわからないよねということで、開始。
出席者は今までに比べて、かなり少ない。3つのグループに分けて話し合おうという計画でいたけれど、分けたら人数が少なすぎるグループも出てきそうで、全員一緒に輪になって話し合おうということになった。
まず手始めに、自己紹介をしてもらう。性同一性障害の当事者、セクシュアリティに揺れのある人・自分でもよくわからない人なども何人かいて、自分のことをみんなの前できちんと話しているのを見て、 話が出来る場を提供できただけでもよかったのかな?なんて思う。そのほか、医療関係、相談員、精神障害者のための作業所の職員なども参加していた。
自己紹介が終わったところで、 ハッシーが持ってきたインターセックスに関するテレビ番組のヴィデオを見る。生まれたときの性別は白紙状態なのだから、インターセックスの子どもに関しては医師の判断で手術を施して、 その性別に合うように育てればいいのだとされてきた医師主導の「治療」が犯してきた過ちを指摘・批判するような番組だ。
ヴィデオを見たあとの感想をあれこれ話し始めたところで、やっぱり、 グループ別に分かれたいという意見が出されて、当初の予定通りに3つの部屋に分かれる。と・・・2回目の「カムアウトと家族」の人たちから(ぼくの回の)「愛と性は一体か?」も一緒にしませんかという提案があって、 一緒にすることに。
ということで、最初は初めての試みということもあって、右往左往した。ぼくは流れに身を任せ、なるようになるだろうとのんびり構えていたのだが、じつは、 きょうの参加者の中でかなり気になるハンサムくんがいて、彼はどこを選ぶのだろうということばかりを気にしていたのだった。
自己紹介のときも、話し合いに入ってからも彼の反応をずっと見ていた。 最初はハッシーの方に行くと言っていたのに結局ぼくの方に来てくれたので、それだけでラッキー なんて心の中でつぶやいて(立場上、あくまでポーカーフェイス、のつもり)みんなの話に耳を傾けつつ、 ぼくも意見を言いながら一方で、全(?)神経は彼の様子に集中していた(不謹慎)。
ただハンサムというだけでなく(ほぼ完璧な美形であることは確かだけれど)、表情豊かにみんなの話に反応している様子がじつに素敵で感動的だ。 これだけの逸材に出会うのは、ぼくの人生でも初めて、かも。13年前にHiroshiに出逢ったときは「初めての三位一体(お顔と性格とセックスアピール)の男だ」と感じたが、まあ、 最近は年輪を重ねてきたせいか、セクシュアルな方面は大分後退して親しくお顔を見ていられれば幸せというところに落ち着いているという前提で、ハッピー感のレベルではそのとき以上だろう。
彼を見かけたのはこれが初めてではなくて、以前、今回の企画を担当した学芸員が「障害と優生思想」というテーマで発表したときにも聞きに来ていて、 そのときは後姿を注目していたのだった。職員たちとも知り合いであるように見受けられたのだが、「イケメンみたいだから紹介してよ」と職員に頼むわけにもいかず、その場はそのままになってしまった。
聞けば、 大学の先輩後輩に当たるという。それも、昔ぼくが惚れていた男(1984年ごろと、1991年ごろの2人)の出身大学を卒業、今の職場(作業所)はぼくの家の近所だという。しかも、彼もまあくん。 だからと言っても、彼はヘテロだろうから、まあ、どうしようということもないのだけれど、偶然にも幸運が重なったという夢のような話に、ぼくはもうすっかり舞い上がってしまう。久しぶりのトキメキですなあ・・・
こちらの話に食い入るような眼差しを向けてきたり、にこやかに笑顔を返してきたりするのは、ぼくにだけしているわけではないこともちゃんと確認しておいたので(「年の功」ですわ)、手前勝手な幻想はもたないけどね。でも、その瞬間はどっきりハッピー。
終わったあとの打ち上げ飲み会にも来てくれていろいろ話も出来たし、さらにじっくり見詰めることも出来たのだが、じつに前向きで真剣。と言って、辟易するような熱血漢というわけでもなく、 そのバランス感は心地よかった。名刺交換もしてもらって、ハッピーな気持ちで家路に就く。
ということで、セミナーの報告・感想というより、おっかけ日記になってしまった・・・けど、とってもいい一日。

2月19日(金)

この冬一番の寒気到来(と言っても、まだ冬は始まったばかりだが)。激しい突風に家が揺れる。そんな悪天の中、甲南大学に出かける。先々週の講義の続きだ。
今週は学生たちに討論してもらおうということで、 資料として『週刊金曜日』の「伝説のオカマ」論争関連の記事コピーを渡してある。元になった及川原稿、抗議を受けた編集部がうろたえて作成した「性と人権」特集。それらを読んでどう思ったか、話し合ってもらおうというわけだ。
上村さんの研究室で、学生たちの(前回の)反応の傾向について検討する。検討するといっても、ぼくがその場で全部のレポートに目を通すこともできないので、まあ、上村さんから大体の傾向を聞くということなのだが。
多くの学生はすこたん企画の抗議と辛淑玉さんの文章に共感している、「平野さんが言ったことを学生は理解してない」と上村さんは、ちょっとがっかりした様子だ。「じゃ、学生の意見を聞けば、 なぜすこたん企画が世間受けするのか、解明できるかも」なんて、ぼくは逆読み(?)をして面白がる。
授業では上村さんが教室を回りながら学生にマイクを向けて、 編集委員のどの意見に共感したかに的を絞って学生の声を集めていった。ぼくはもっと詳しい意見が出てくることを期待していたのだが、どれも短いというか、簡単に一言ふたことの「共感」表明に終始して、 ちょっと拍子抜けする(代わりに、ぼくが反論する時間がたくさん残されたことになる)。
筑紫哲也の文章に共感するという学生は(やはり)多かった。本田勝一の文章に対しては、 反発を感じる人が多かったようだ(たしかに、書き方が喧嘩腰というか、挑発的ではある。確信犯的発言だろうが)。
それでも、辛淑玉さんの文章には「涙」「泣く」といった言葉が多用されていて、 こういう言い方で読者の気を引こうとするのは卑怯だという指摘する学生もいた。なかなか、鋭い。
10人くらいの学生から意見が出たところで、ぼくがコメント。すこたん企画の「抗議」にあった 「オカマという言葉の説明が不十分だ」という言い草については、伊藤悟さんはかつて自分が本で書いていた説明も極めて不十分であったことを反省してからものを言うべきだったと批判。
「抗議」することは悪いことではないけれど、 「傷付いた人の気持ちがわからないか」という抗議の仕方をしていたら、当事者以外は議論に加われないし、心ある人は口をつぐんでしまって悪意のある人・差別者だけが発言を続けることになってしまうことを指摘した。
あと、「性的指向」に関して、「志向」「嗜好」は間違っているという主張の仕方(運動論)がどこから出てきたか、その運動論がどのような問題を抱えているか、 話す。だいたいはホームページに載せた「『抗議』が議論と出会うとき」で書いたことだ。
どこまで通じたかはわからないが、基本的な問題点については説明できたと思う。ゲイ差別そのもののことより、 ゲイ差別の実態から見えてくる性差別構造について話したい、と先々週は言ったのだが、きょうの授業ではほぼ、ゲイ差別問題に終始してしまった。ま、仕方ない、か。

12月18日(木)

近所の郵便局にゆうパックを取りに行った。が、手違いで転送されてなかったようだ。確認の電話を松原郵便局に入れてもらう。「すいません。あしたお家まで持って行きますわ」と言ってくれるので、お言葉に甘えることに。
「いつも、寝てるときに配達来るからなあ」「夜のお仕事ですもんね」

きょうもまあくんを交えた会話に加わる。きょうのは成績不良の生徒(というか、さっぱり勉強しようとしない生徒)の単位認定・不認定について、心配している1年の担任との立ち話だ。
育休、秒読み。

12月17日(水)

無線LANカード・ドライバーのインストールはなんとかできた。しかし、それでも無線で印刷を指示したりできない。無線が作動するように設定できてないみたい。マニュアルを読んでも、よくわからん・・・ コンピュータ関係のマニュアル、てやっぱり難しい。素人にもわかるように書いてほしいものだ。

職員室で、まあくんを交えた数人でしばらく話し込む。話題は1月からの彼の育休のこと。彼は時間割作成のベテランだから、彼がいなかったら来年の時間割はいつになったら出来る?とか、 人事異動がわからなければ出来ないから4月になって復帰してからでもあまり変わらないとか、家でずっと育児や家事をしてたら息が詰まるだろうから、たまには学校に息抜きに来たら?とか、みんなでアーでもないコーでもないと、 冗談半分にしゃべくる。
もうじき彼の顔が見られなくなるということに、改めて気付く。あと、4日(19日はぼくが休む)だ。
そう言えば、今朝もまあくんの夢を見た。

ネット検索で『アンチ・ヘテロセクシズム』著者署名入りが10800円で出品されていることを知る。え?そんなに高いの?そんなんで売れるか?ぼくのサインに価値が出てきた?よく知らないで出品してるのか? といった素朴な疑問が湧いてきて、面白い。
それにしても、誰が売ったのかなあ?せっかくサインしてあげたのに・・・という想いも。複雑。

12月16日(火)

ヤフーオークションで落札していたヒューレットパッカードのプリント複合機が、やっと到着する。送金してから2週間近くが経とうという時期だ。何度か問い合わせやら催促やら、 「法的手段」のほのめかしやらをした挙句の到着だ。詐欺でなくてよかった。
早速、(これもオークションでゲットした)留守電話と組み合わせてヤフーのモデムに接続する。最初のうちは信号がうまく流れなくて、 電話、ネットが作動しなかったが、何度か試しているうちに接続できるようになった(モデムが不機嫌だったんだろう)。まず、FAXを郵便局に送る(午前中の熟睡時間帯に配達されたゆうパックの転送依頼)。 さらに、(ちゃんと届くか心配だったので)学校宛に「実験FAX」を送ってみる。
さらに、(お楽しみ)無線LANカードをPCに差し込んでみる。が・・・PCが認識しない。これもネットで買ったものだが、 ドライバーをインストールするためのCDが入ってなかったことに今になって気付く。アカンじゃん。やっぱり正規店で買わないとダメなのか?不良品をつかまされたのか?と一瞬焦る。
同僚に聞いてみると、 メーカーのホームページからダウンロードできるということで、ホッと安心する。夜、帰ってから早速ダウンロードしてみたはいいが、今度はダウンロードしたファイルをどうやってインストールしたらいいのかがわからない。
ひとまず、寝ましょう。あした、あした。

きょうは通信制国語の再試験の日だ(1年、2年一緒)。お気に入りNo1のSがまたまた受験してなくて再試験を受けることになって、内心喜びながら視聴覚室で待つ。
いつもいつもの再試験、 しかも現代語と国語表現の2科目ともとなれば、教師としては「試験を舐めとる」と叱らなければならないところだろうが、通常時間帯の試験は別の教員、再試験は教科担当が監督することになっているので、 再試験を受けてくれた方がぼくとしては嬉しい。
ところが、チャイムがなってもSは現れない。彼とともに再試験の常連となっている連れに聞くと、1時間目は来てなかったという。ええ?じゃ、不認定になっちゃうじゃん、 と少し焦っていると、慌てて入ってきて「間に合った?」。
彼はわりと出来る方なので、カリカリ鉛筆の音を立てながら次つぎ解答を書き込んでいた。特に作文は面白いのを書く子で、今回のテーマは漱石の 「夢十夜」を参考にして夢について書きなさいという出題に応じて、タイミングよく(?)昨夜金縛りにあったことをあれこれ詳しく書いていた。
「そっか・・・カウンセラーに話、聞いてもらったら?」などと、 しばらく話をする。

学校に送ってみたFAXは届いてなかった。家に帰ってマニュアルを読み直して、再度「実験FAX」を送ってみる。
すると、すぐさま事務長から電話がかかってきた。「FAX来たんですけど・・・」。 事情を話して二人で大笑い。
これが新しい留守電での最初の通話。

12月15日(月)

日付変更前(ふだんより4、5時間も早い)に蒲団に入ったにもかかわらず、すぐにぐっすり眠りに入ったみたい。
まあくんの夢を見る。と言っても、いつのものように話はしていない。 廊下で彼の気配がするもんだから出ていってみると、ほかの教師と何ごとか立ち話を済ませて自分の部屋に戻って行こうとしているという、悲しい(?)夢だった。まあ、こういうのは慣れてるんだけど・・・
昼どきまではぼくがいないということで、朝からすき焼きをつつくことになった。そう言えば、すき焼きなんてずいぶん長いこと食べてない。教師になった最初の年に、最初に教えた生徒たち数人がそのころ住んでいたボロアパートに食べに来るというんで、 すき焼き鍋を買い込んでもてなしたことがあったが、一人ですき焼きというのも気乗りがしないから、しまいこんだままだ。
朝食を終えて、家を出る。後姿を見た母が「テッペンが明るくなったね」とひとこと。 「はい、はい」と適当にあしらって駅に向かう。

大阪に着いてから、フセインが拘束されたというニュースを知る。駅の売店で売っているスポーツ新聞の大きな見出しが目に入る。「逮捕」とか「生け捕り」とかいう、スポーツ紙らしい刺激的な見出しに驚く。 家ではテレビをつけてなかったから、まったく知らないままでいたのだ。
「独裁者」が捕まることはいいことだろうが、これでまたブッシュがのさばることになるかと思うと、複雑な気持ちだ。

12月14日(日)

大萩康司くんのおっかけで名古屋に行く。去年もこの時期に、フルートの瀬尾和紀くんとのデュオ・コンサートを聴きに名古屋へ行った。
今年は「名古屋ギターコンクール」のゲストとして、大萩くんが数曲を披露する。
難波1時発の近鉄特急で大阪を立ち、3時4分には名古屋に着く。コンクールは朝の10時半から二次予選、4時半から本選があって(その間、出入り自由)、大萩くんが登場するのは7時くらいになるだろうということだった。 いい席を取るために4時には会場に入ろうという心積もりで、名古屋駅から会場まで、メインストリートの広小路をゆっくり歩く。
去年来たときは夜だったから景色はあまり目に入らなかったが、 きょうは昼間だから広小路の変わりようも変わらなさ振りもよくわかる。夏の(教育相談係研修会の)夢分析のときに「道に迷った」のは納屋橋辺りか、と言ってしまったことが気になっていたが、改めて納屋橋を見てみると、 なるほどそんな気もする。人通りを止めて見たら、夢に見たのと似ているかもしれない。「その場に行ってみたら、『転機』のヒントがわかるかも」とカウンセラーは言っていたが、「啓示」はなかった。
昔よく行っていたYAMAHAに入ってみる。 途中の柳橋交差点で自転車に乗って信号を待っていたカッコいい少年が先に来ていて、ちょっとうれしかったりして・・・(名古屋の男たちもレベル上がったかも)
YAMAHAの筋向いにあった名宝会館はなくなって、 広い空き地になっていた。ぼくが21歳のとき、初めての恋人に伴われて「ヴェニスに死す」を見に来た映画館だったのに、寂しい。YAMAHAの向かいが、いつの間にやら朝日新聞とヒルトンホテルになっていて驚く。

コンクール会場には計画通り4時ごろに入る。予想通り本選会までの休憩中だったが、いい席にはすでに荷物などが置かれていた。それでも、前から5列目の真ん中に1席だけの空きを見つけて、座る。よかった。
一応本選出場者の演奏順をメモして、素人審査してみる。予選を通ったのは7名。しかし、みんなうまい。 そのままCD出せるんじゃない?などと思ってしまうくらいだ。
最初の人の時には、全体のレベルがわからないから少し厳しすぎたかもしれないが、80点をつけた。2人目は若い女性だったが「まるで村治佳織」 という感じで(容貌の雰囲気・服装も演奏も)、リズム感も悪いし音も凡庸で50点(ぼくの後ろに座っていたギターを習っているらしきおばちゃんたちは「好き」と言っていたが)。以下、93点、95点、80点(韓国。 海外からの参加は初めてだったらしい)、96点、80点というのがぼくの採点(あんまり根拠はない。ただの直感)。
すべての参加者が終わって審査結果が出るまでの間、大萩くんと審査委員長の福田進一がゲストとして演奏。 こういうコンクールで演奏するのは、「我こそは」と意気込んでる連中の手前、緊張するんじゃないかな?なんて大萩くんを気遣っていたのだが、最初の一音が奏でられた瞬間、バカバカしい杞憂だったことがわかる。 参加者もうまいことはうまかったけれど、レベルがまったく違う。世界が違う。たった一音で、これほどの違い。少々眠気も出かかってたのが、いっぺんに覚めた。
大萩くんが演奏したのは、 初めて聴く渡辺香津美の「アストラル・フレイクス」と、おなじみ「そのあくる日」(R.ゲーラ)「タンゴ・アン・スカイ」(R.ディアス、トヨタのCMで村治が凡庸な演奏を聞かせてるやつ)の3曲だけだが、 この3曲だけでも名古屋まで聴きに来た甲斐があったというものだ。
審査総評で福田進一が「指はよく動くけど音が死んでる演奏(ぼくはとっさに村治佳織を連想)より、 少しくらい指は動かなくても音が生きている演奏の方を大事にしたい」と言っていたが(「昔、九州にそんなのがいました。ここにいる大萩くんがそうですが」と付け加えながら)、まったくその通りだ。 大萩くんとその他のギター奏者との違いはどこにあるのだろうと考えていたが、福田進一のこのひとことですべて納得できた。
演奏会を重ねるにつれて、ますます音に命がみなぎるようになってきた。 繊細さと大胆さがバランスよく同居して、滔々と流れる旋律の中にフッと一音が爪弾かれて世界がすっと変わっていく、その見事さはたとえようもない。「曲を弾くまでもなく、一音だけで心を語ることが出来る」と福田が言う、 そうした「音」を大萩くんはもっている。ハイレベルなコンクール予選突破者の演奏を聴いたあとだから、なおさら、彼の美点が際立つことになった。正直言って、これほどの差が出るとは思ってなかった・・・
大萩くんのあとに福田進一の演奏が3曲(かなり自由闊達な演奏。チューニングもそこそこにさっと弾き始める、その活きのよさ。練習中の朝比奈さんも顔負けのうなり声)、二人のデュオが2曲&アンコール2曲。 福田の演奏をナマで聴くのは初めてなので、とても興味深かったし、師弟関係(福田に見出されて渡仏)にある二人の息の合った演奏もとても心地よかった。
審査結果とぼくの出した結論とでは、1位は同じだが2位、3位が逆だった。 3位になった人は参加者の中では一番年上で、有名なドメニコーニの「コユンババ」を弾いて会場をうならせたのだが、ぼくは「曲のすばらしさでごまかされてはいけない」と思って2位にしておいた。そしたら、 「総評」でもそのことが採り上げられ、最近では、盛り上げ上手で華やかなこの曲をコンクールで弾くと落とされる傾向にあるという。ぼくが考えたのと同じ理由からだ。
一位になった松田弦くんというのは見た目もイケメンだったが、 演奏でもよく自分を主張していてよかった。ぼくが3位にした2位受賞者も、曲をよく自分のものにしていたと思う(どちらの子の曲も、ぼくは初めて聴く曲だが)。

表彰などすべてが終わって、参加者、審査員、 主催者みんなが記念写真に納まるところまで見物。大萩くんのところに知り合いらしき女の子たち(ただのファンかもしれないが)が寄っていって話しかけているのも、見ていた。ぼくも寄って行ったら言葉をかけてくれるだろうか? とも思ったが、またまたモゴモゴ言うだけで気の利いたことも言えないだろうな、なんて気後れして、遠巻きにしていた。こういうときに話しかけたら、もっと近しくなれるのかもしれないのに・・・
あれこれ差し入れしている女の子たちを見て、 ぼくも何か持ってくればよかったと後悔する。じつは、会場に入る前に時間があったから、名古屋で一番の和菓子屋「亀末広」に行ってお土産でも買ってこようと思いはしたのだが(最初は自分が食べたくなって。 そのあと、「あ、差し入れ・・・」と気付く)、一回行っただけの店なので、見つけられなかったのだ。ネットで調べておけばよかった。「仲良くなるための下準備」が足らない。
まあいい。 素晴らしい演奏が聴けただけで、満足することにしよう。

名古屋駅まで、地下鉄1駅半分歩く。実家のある駅からも25分歩く。健康のため&タクシー代節約(駅にタクシーがいたりいなかったりという、ド田舎町でもある)。
玄関を開けようとすると、取っ手の下の方に 「平野ママリン侵入防止板」と書きつけた板が張ってある。家の猫が入ってきちゃいかんのか?と思って、家に入るなり「ナニこれ?」と訊く。「勝手に戸を開けて(引き戸)入ってくるはいいだけど、開けるだけ開けて閉めてくれんから、 寒いじゃん」・・・なるほどと大笑い。
2、30分ほど話をして、風呂に入って寝る。なんと12時前だ。こんなに早く布団に入るなんて、何年ぶりのことだろう。

12月13日(土)

リバティ大阪のセミナー。これは参加費1000円をいただく有料セミナーだから(こういうのは、ぼくとしては珍しい)、「元が取れるような話をしなきゃ」なんて殊勝なことを思っていた。いたのに、なんと遅刻してしまう。 なんということだ。
ちゃんと家を出たつもりだったのに、途中、ガレージ代を払う、銀行に寄る、郵便局で荷物を受け取る、なんてことをしてて時間が経ってしまった。しかも、道が意外と混んでいた。すべて、 逆算が甘かったということで、言い訳のしようもない。きのうの近大に続いての失態だ。
こういうときに携帯電話があれば・・・などと、ついつい思ってしまう。それでも時間通りに始めてもらっていたようで、 10分遅れて会場に入ると、よりによって、ぼくの席は講師(?)3人の真ん中にしつらえられていた。ぺこぺこしながら席に着く。真ん中が空いたまま開始しなきゃいけないなんて、困ったでしょうなあ・・・ ぼくを最後にしておいて、と頼んでおいたのが、こんなところで役立った(?)。
きょうのテーマは「愛と性は一体か?」ということで、ゲイ2人、障害者1人の3人の男が語り合うという趣向だ。 G-FRONT関西の暮石くんは、神戸大学学祭に参加した模擬裁判「六甲インラン・セックス事件」での検察・弁護士の主張を紹介しつつ、ハッテン公衆便所でのセックスを断罪するための理論としての公序良俗と「愛」 に批判的な意見に言及(意外と「公平な立場」から話していたが)。倉本さんは、障害者男性が「一人前の男」としての自信を回復するとっかかりとして「風俗に行ったこと」を自慢する動きがあることに疑義を提出しながら、 自分の恋愛とセックスの経験を率直に話していった。
ぼくは、10年前に『KICK OUT』というゲイ・ミニコミに書いた文章を手掛かりに、ぼくが考えているセックスと多くの人が考えているらしいセックスとのズレ、 射精に頼らない自体愛的性感への願望について話した後、それに反して(?)「好きだ」という感情(幻想)を抱いたときに快感が高まることが多いのは、やはりロマンティック・ラブの幻想から自由ではいられないことの現れなのだろうと白状する。 そしていつものように、ロマンティック・ラブ・イデオロギーの本質を逆説的に照らし出す読み物として、ロビン・ベイカーの『セックス・イン・ザ・フューチャー』を挙げる。
先のお二人はずいぶん遠慮して20分しか話さなかったが、 ぼくは30分くらい、ベラベラ話した。昔やったセックスのことを思い出しながら、わりと露骨なこともヘラヘラしゃべった。会場から笑いも起こったので、まあ、愉しんでもらえただろうと思う。
その後は3人それぞれが補足してしゃべったり、 会場から質問やら意見をもらったりしながら進められていったが、討論というノリにはならずに講師と会場とのキャッチボール程度に止まる。それでも、売買春のことや(オランダでの、障害者に対する) セックス・ボランティアのこと、SMのことにも話が及んで、まあ、広い範囲の問題にふれることはできた。
セックスワークに関してぼくは、性(的記号)を売ることが問題なのではなく(「性的記号を売る」ということなら、 ファミリーレストランの女性店員や銀行窓口の女性も同じ)、性行為に関わる仕事だけがハイリスク・ハイリターンになってしまうことの根本構造、「セックス」を特別視(「聖」なるものにして「俗」なるもの) する社会・文化構造をこそ問題にしなければならないという、いつも考えていることをまとめて話す。SMに関しては、相互信頼に基づいた高度な性愛テクニックだということも話す(犯罪としての「サディズム」 とは区別しなければならないことも)。
終わってからの呑み会では、G-FRONT関西のメンバー数人と『にじ』編集長の永易くんも加わって、ゲイ・ネタで盛り上がった(倉本さんは用事があって参加しなかったので、 リバティの担当者以外はみんな?ゲイ)。あすのG-FRONTのクリスマス・パーティは永易編集長を招いての講演会「『ひとり』で老いる」なのだが、ぼくは大萩くんのおっかけで名古屋行き、参加できないことになってしまったので、 きょう、久しぶりにお会いできてよかった。

12月12日(金)

近畿大学に行く。大越愛子さんの授業での講演、今年で12年目か13年目になる(多分、1991年から)。以前は5月末か6月初旬に呼ばれていたが、去年は10月ごろにずれ込んだ。今年は、 もうないかと思っているころに声がかかった。
慣れてしまったので、緊張感というものはない。「ない」のはいいことかもしれないが、なさ過ぎる、か。
近鉄難波駅から奈良線に乗って鶴橋で大阪線に乗り換えるのだが、 鶴橋駅のホームに立ってから改めて列車の本数が奈良線に比べてずっと少なかったことを思い出す。ホームに学生たちがたくさん立っているところを見れば、まだ、遅刻する時間ではないのだろうが、 ゲスト講師は始業チャイムより早めに行っているのが礼儀というものだろう(フツーはね)。
さらに頼む方も頼まれる方も何をテーマにするかなんてあんまりきちんと考えないまま、「今年もよろしく」「はい、 はい」てな具合だから、列車に乗りながら&駅から大学に向かう道すがら、なにをしゃべろうかアレコレ考えたのだが、さっぱりまとまらない。正門に通じる大学前商店街が軒並みシャッターを降ろしている様子に不景気 (失政の結果だ)の影を感じたり、大学構内の変化や新校舎建築現場なんぞに気を取られたり(そのせいで、すぐ前を行くイケメン学生を見失ってしまった。足の長さの差に負けずに、懸命についていってたのに・・・)、 結局まとまらないまま大越さんの研究室に慌てて飛び込んだ。
と、誰もいない・・・え?もう授業、始まってるの?部屋の時計は1時35分を指して止まっているし、机の上の目覚まし時計は1時5分で止まっている。ぼくの懐中時計では1時10分だが、これって、開始時間じゃないの?でも、講義室がどこかなんて知らないし ・・・
困っていると、元ゼミ生の顔見知り学生がやってきた。ああ、よかった。しばらくして大越さんもあたふたとやってきて、一年ぶりの挨拶もそこそこに教室に向かう。
さすがに12月ともなると、 学生の出席は悪くなるのだろう。学生たちは、大きな階段教室の後ろの方にぱらぱらとちらばって座っている。ハンサム学生がいるかどうかなんてチェックするにも遠すぎる・・・などといったことばかり考えていて、 講師紹介の間も何をしゃべるかまとまらずに、そのまま教壇に立つ。
簡単に自己紹介、定時制工業高校の生徒たちとの遣り取り、授業でどんなことをしているか(主に女性の作品を採り上げてきたこと、3年での 「きらきらひかる」のことなど)、生徒たちからの「誤解」発言(「チンポ切らへんのか」「スカート履かへんのか」「男役か女役か」・・・)などなどを導入として(あまり受けなかった?が)、 リバティ大阪で行われている「性的少数者の現在」展とセミナーの概要、それに対して出されている批判のこと。この批判の論点を元に、性別二元論の問題点といままで講演などで話してきた「性の枠組み」 を組み替えてみる必要性に迫られていることについて話す。
そしてお決まりの、「おかま」という言葉が差別語として機能するとき、その基盤として、どういう文化構造・社会構造が潜んでいるかという核心を手短に話したところで、 ちょうど時間となった。
去年は何分に終わるかよく知らないまましゃべっていて時間が足らなかったが、今年はいいタイミングでまとめに入れた。当然、すべての問題を網羅できたわけではないが、まあまあだろう。
終わってから、上海からの留学生が熱心に質問してくる(「原因説」についてどう思うか?)。有力な説のいくつかの手短に批判をしたあと、原因を探ることにたいした意味はないことを話す。その後、 大越さんの研究室で1時間ほど、数人の学生・教員を交えて話し込んだ後、お暇する。

きょうはぼくの関係するテストはないので休みを取って、難波に戻る。あちこちショッピングに回るつもりだったのだが、古書店でたくさん買い込んでしまったから、中古CD屋にもタワーレコードにも寄らずに帰ってくる。
『スマップウォッチング』、『ポッシュ&ベックス』(ベッカム夫妻のおっかけ本)、マイケル・ムーア監督の『おい、ブッシュ、世界を返せ!』、元犬党だった作家が猫党に寝返った『男の相棒は猫に限る』など6冊。
またまた、読みもしない不急不要の買い物ではある。
家に帰りつくとしばらくして宅配便。志野の茶碗、古伊万里の水指。少々値は張ったが、いい品だ。満足。これも不急不要の買い物。
散財人生はどこまでも続く(?)。

ヤフーオークションでゲットしたダイエー和田くんの手帳が到着する。カバーに和田くんの写真がふんだんに使われた手帳だ。
カッコいいから来年はこれを使おうかな、とも思ったが、よくよく見ると、 予定表のページも日記(?)のページも日付抜きだ。自分でいちいち日付・曜日を入れないといけない。どの年に使っても大丈夫なようになっているのかもしれないが、日付を入れ間違えてしまったら手帳としての用をなさない。 やっぱり、飾っとくだけのものかな?
夜、フジテレビの「すぽると」をちらちら見ていたら、横浜の福盛(和男)くんが近鉄に移籍するという。ファンなのに、全然知らなかった・・・不覚。
移籍入団の記者会見で、 (結婚)入籍発表もしていたようだが、まあそんなことはどうでもいい(入団記者会見で結婚がらみの話題を発表する選手が多いが、余分だよね。野球とは全然関係ないもの)。久しぶりに彼のお顔が見られて、ラッキー。 やっぱり、ハンサムだ。
これで近鉄には、岩隈くんと福盛くんの二人、お気に入り投手が在籍することになった。来年は大阪ドームに行こう、と。日ハム―近鉄戦。
もうセ・リーグに未練はないね。

あすは近畿大学で毎年恒例の講演、あさってはリバティ大阪、日曜日は名古屋での大萩くん。充実の週末だ。

12月10日(水)

待ちに待ったボーナス支給日。早速出金して滞納している家賃のための口座に入金したり(振込みはまだ。手数料がもったいないから、家主の口座がある支店まで行くのだ。これが、ついでがないと、なかなか・・・)、 オークション高額商品の振込みをしたり。
ガレージ代も(いつも6か月分まとめて)払うつもりでオーナーのところ(表通りを隔てたお向かいさん。昔の庄屋?)に出向いたのだが、あいにく留守だった。 その気になったときにいてくれないと、使っちゃうかもしれないのにねえ。

きょうはまあくんはお休みみたい。ちょっと残念、と思っていると、テスト終了後にやっくんが事務室にやってきて、しばらく話し込んでいった。
ぼくが校長と話している横で、 「平野さんが寂しがるから・・・」とかって言ってるから「なに、なに?」と訊いてみると、事務の女性に「彼女いる?」と訊かれて、「いるけど・・・」「結婚は?」「まだ・・・」などといった遣り取りを交わしていたようだ。 女性職員から「(○○さんが)結婚したら寂しい?」と改めて訊かれて「覚悟してるから・・・でも、して欲しくないな」と答えると、「でしょ」とやっくん
よくよく訊いてみると、彼女の方は結婚したいみたいだけど、 彼としてはいますぐしたいとは思ってないということらしい。いつかはするだろうと思ってはいるが・・・そういうことが話題に上るお年頃になったんだ(20代後半)。改めてそう思うと、ちょっぴり寂しい、かな。
彼は阪神タイガースのアリアスに感じが似ているのだが、お兄さんは新庄タイプらしい。地元では「カールスモーキー石井」と言われていたともいう。事務の人らと一緒に、口々に「一回学校に連れといで」などと騒いで盛り上がった。
やっくんは「なんと言って連れて来たらいいんです?」なんて笑っている。
ハンサム系の家系なのかぁ。一度、兄上も見てみたいものだ。

12月7日(日)

3ヶ月ぶりのOGC例会。だのに、やけに寒くなってきて、そのせいか参加者は相変わらず少ない(3人だけ)。
3人とも40代だったりするから(2人は50に近い)、14日にG-FRONT関西が東京から『にじ』の永易編集長を招いて開く、 「ひとりで、みんなと生きる」という年配ゲイの暮らし方をテーマとした講演会に関連した話で盛り上がった。
と言っても、親や家族に頼らないで自立して生きていこうという企画(多分、 そういう意図から出た講演会なのだろと思う)とは逆に、年老いた親から頼られてしまったり衰えた親をほっておけないという場合どうしたらいいか、といった問題の方が切実なのではないかということになって、 実際にそういう「とき」が近づいてきた年代にとっては、問題は別のところにあるのかもしれないという話で盛り上がったのだった。
G-FRONTの方が若い子が多いから、視点が違う、のかな。

終わってから、歩いて日本橋、難波に出る(地下鉄の駅、2駅半分)。最近(体脂肪計つき体重計を買ってから)、ヘタに食事を減らすより歩いた方が脂肪を取るのには効果があるということがわかってきたから、 いままで以上に電車賃をケチるようになったのだ。
電気店で留守番電話機の相場を調べる。FAXだけでなく留守番機能にも異常が出るようになってきたので、FAX付きプリンター複合機と留守電の組み合わせでいこうとネットオークションをチェックしているのだが、 店頭価格を知らないでは勝負にならない。子機2台のやつを狙おうと思えば、ある程度の覚悟が要ることを確認。
いつものインドカレー店は止めにして、トンカツ屋に入る(本日一回目の食事。もう、6時だ)。 ここもときどき来るところだが、いつ来ても愛想が悪いというか、夫も妻もニコリともしないで黙々とトンカツを出すだけの店だ。
きょうはちょうどテレビで、札幌のミニFMが新庄の札幌入り&日本ハム入団記者会見を取材したときの裏話を紹介していた。 なんとか新庄にマイクを向けて番組名を言ってもらおうと作戦を練るのだが、他局の取材攻勢にもみくちゃにされ、新庄にポーッとなって見とれるばかりで仕事にならなかったとか、なかなかミーハーチックで面白い。
入団記者会見のときも、質問記者に指名されて立ち上がったはいいが、上がってしまって、つい「番組名を言ってもらう」のを忘れてしまった、なんてのは笑えた。
他局アナウンサーからの「何か北海道弁を覚えましたか」 という最後の質問に詰まった新庄が、そのFM局が掲げていた番組名のカードを見つけて「やっぱ、日ハムだべさ」とつぶやいたというエピソードにも笑った。
5分か10分のわりかた長い時間のレポートで、 ぼくはトンカツをぱくつきながら、オジサンとオバサンは仕事の手を休めて、みんな揃って(お客はぼくだけ)テレビに見入っていた。偶然、ちょうどいいタイミングで新庄モノに出会えてラッキー

12月6日(土)

お昼ごろ東京音協に電話して、来年2月1日の大萩康司くんのコンサート・チケットを予約する。東京オペラシティ・タケミツホールでの、若手パーカショニストとのジョイント・コンサートだ。
東京まで出て行くということに少し迷いがあって、ゲットするのが遅れた。そのせいか、大阪のぴあで買おうとしたら、すでに2階席しか取れないことがわかった(一番前の席ではあったが、 このホールの2階席はかなり後ろの方から始まるらしい)。これじゃアカンと、主催者の東京音協に電話したわけだ。ぴあで買うよりはまし(?)だったが、1階8列目とは言え、一番端っこの席になってしまった。
ただ、ぼくの睨んだところ、「一人(1枚)」という注文は極めて冷遇されるので、本当はまだまだ一杯チケットは残っているのだろうと思う。連番のチケットは御カップルさんどものために残してあるのだ。
一人でコンサート行っちゃ、イカンのか??ええ???と怒鳴りたい気分。
四半世紀前、名古屋のプレイガイドでチケットを買ってたころは、お客様の前に座席表が示されて、 そこの店に任されたチケットはすべて一目瞭然の状態でお客様が席を指定するシステムだった。ところが、大阪に来てプレイガイドに行ってみると、店員の手の内にはチケットの束が握られているのに、 「お一人様ですね」とかなんとか抜かしながら、たった2席か3席だけを目にも止まらぬ速さで指差して、「さあ、どうだ。どこを買う?」と言わんばかりの店員主導の「指定」がまかり通っていた。 「大阪は商人の街」というのは、商人が威張ってる街という意味だったのね。
何度か『プレイガイドジャーナル』(当時のタウン情報誌)に苦情のお手紙を書いたが、まともに採り上げられることもないまま、 コンピュータがチケット販売に導入されて、さらに顧客軽視の売り手横暴商売が横行する時代に突入してしまった。
「指定席」というのは、客が座席を指定してこそ「指定席」であるはずなのに・・・ まったく、腹が立つ。音楽評論家も含めて誰も、こういう惨状について苦言を呈しないのが不思議だ。
御カップルさんだろうとご夫婦さんだろうと、お友だち様であろうと、 遅く買いに来たヤツが優先的に隣り合わせの席をゲットしてしまうのは、理不尽・不条理だ。そんなことだから、連番を大事本尊に取って措いたがために一列まるまる空席、なんてコンサートがたまに出現したりするのだ。
まったく、度し難い。客商売を一から勉強し直して来なさい、っつうの。
あ、このコンサートのせいで、2月のOGC例会は、またお休みだね。

リバティ大阪のセミナーに初めて顔を出す。ハッシーと(NPOユニークフェイスの会の)石井政之さん、そして、二人が白熱してぶつかり合ったときのため(?)に心のマッサージをしてくれる大谷さんの、 3人によるセッションの回だ。
少し遅れて会場に入ると、「一人ひとりの体、一人ひとりの性」というテーマが掲げられた壇上で石井さんが、ユニークフェイスの会の活動について(わりと)淡々とした口調で説明していた。 続いてハッシーが個人史を交えながら、インターセクシュアルが生きていくうえで直面する困惑・困難を独特の言い回しでぶちまけていく。いつもながら、激しい語り口だ。
ところが、 さて二人が対談をするという段になって、二人のノリの違いというかテンションの差が露わになって、なかなか議論がかみ合わないということになった。それだけでなく、「社会は(いい方に)変わるか」「親(とくに母親) の苦しみにどう対処するか」といった点で激しい言い合いになったり、聴衆からハッシーの話し方では理解できないという「文句」が出て喧嘩の売り買いになったり、ちょっと険悪な空気が流れて、 ふだんお目にかかれないトークセッションとなった。
聴衆も緊張したし、司会者も大変だったろう。予定調和的な穏やかな講演・対談ばかりに慣れているぼくたちにとっては、ちょっと面食らった感じも残ったが、 たまにはこういうのもいいかもしれない。
ただ、ぐちゃぐちゃになってしまうハッシーの話ぶりにインターセクシュアルの生き辛さがそのまま露出しているのだということが、聴衆に十分に伝わったとは言えないかもしれない。 さらに、最後に企画者(司会者)が締めくくりとして言っていた「人が人を見るとき、まず最初に顔を見る。そして、男か女かを見る。そこから共通して見えてくるものは何か」という、 きょうのセミナーを企画した意図に迫るような話にまでは行き着かなかったことも、心残りではある。二人がばらばらに自分の位置からものを言っただけと言えば、そう言える会合だったかもしれない。
終わってからの呑み会にも少し顔を出したが、担当者は次の回のことも含めて、あれこれ悩ましく思っているようだった。まあ、今度の回(ぼくらの回)は、きょうのようなことにはならないだろうけれど。

12月5日(金)

甲南大学で講演。上村くに子さんのジェンダー論の授業でのゲスト・スピーチだ。甲南には、10年くらい前にも一度行ったことがある。やはり上村さん関連で、少人数の研究会といった場であったように記憶する。
2回目だから駅からの道順なんて楽勝、といった気分で、阪急神戸線はやっぱりハンサム乗客が多いなあ、などと呑気にニンマリしつつ岡本駅北口に降り立った・・・ところが、どうも様子が違う。 前に来たときの面影がまったくない。方向的にはあってるはずだと歩き始めたものの、さっぱり、見覚えのあるところに出ない。きのう、一応地図を見てきたのに、何となく不安に駆られる。 線路の北側じゃなかったのか?そもそも、阪急ではなくJRだったかしら?
早めに家を出てるから遅刻することはないとしても、あてもなく歩き回るのはごめんだ。だいたい、大学が近いというのに、 学生の姿が見当たらない。線路をくぐって南側に出てみる。通りかかった地元の人らしきおばあさんに訊いてみた。
きわめて大雑把な教え方だったけれど、方向的にはあっていたようだ。気を取り直して歩き始める。 やっと学生の姿も見返られるようになってきて、ほっと安心。
上村さんの研究室で久しぶりの挨拶を交わしつつ、授業の進め方について相談する。ぼくの出番はきょうと、19日の2回。
1回目のきょうは、ぼくの自分史を話しつつ(「男かくあるべし」のジェンダー規範に苦しめられてきたことがメイン)、『週刊金曜日』の「伝説のオカマ」論争をネタに、 「おかま」という言葉が差別的に機能する社会に横たわる性差別の土壌について、2回目の19日は「トーク・トゥ・ハー」の批判をしながら、男と女の間にそびえたつ「壁」について話そうと思っていた。が、 上村さんと相談した結果、2回とも『週金』ネタでいくことにする。
こちらの話を一方的に聞かせるのではなく、できるだけ学生が討論し合える機会をもちたいということで、見てない人が多いかもしれない映画の話をぶつけるより、 『週金』の記事を討論資料として配布した上で、それを元に議論を闘わせた方が面白いだろうという判断だ。
事前に送っておいたぼくの原稿「誰が誰を恥じるのか」に併せて、論争の元になった及川くんのルポ記事、 すこたん企画から抗議を受けて組まれた特集も印刷して、次の回までに読んでくるようにと宿題に出すことにする。かなりの文章量になるが、すぐその場で読んで意見を言えというわけじゃないから、 こういうのもあっていいだろう。
いつものように、はじめに定時制高校での生徒たちとの遣り取りなどをざっくばらんに話して場をほぐそうとしたのだが、たいしてほぐれなかったので、諦めて(?)さっさと本題に入る。 そのままかなり早口で自分史を話した後、『週刊金曜日』論争について話す。
上村さんの話では、最近の学生は90分座っていることが出来ない、鏡を取り出して化粧しだす女子学生、トイレでもないのに出たり入ったりする学生、 などなどがいるということだったが、3人ばかりが出て行ったものの、予想していたよりはずっと熱心(?)に話を聞いていたように思う。
きょうはマイクの調子もよく、ぼくの声がきちんと通っているように感じたから、 笑いを取って和ませることには失敗したけれど、全体的に気分よくしゃべり終えることが出来た。あまりに気分よくしゃべりすぎて、話題が堅すぎたかもしれない、本題そのものをボンボンぶつけ過ぎたかもしれないと思わないでもないくらい、 調子よかった。
学生はついて来れたかしら?話し終わっての質問コーナーでは上村さんが教室を回って学生にマイクを向けてくれたのだが、まあ、活発に質問が出たとは言いがたい(ぼくの講演では、 だいたいいつもそう)。
それでも、質問してくれた4人の話は、なかなかいい質問だった。「『週刊金曜日』てどんな雑誌ですか?」(良識派、人権派と言われている『週金』の「現実」について説明)、 「同性愛になった原因についていろいろ言われいていることについて、どう思いますか?」(原因論の落とし穴について話す)、自分のセクシュアリティについて迷いがある女子学生からの質問、 「子どものころ、どんな遊びをしてましたか?」(ゲイは女の子のするような遊びをすると、わかったようなことを言っている学者の無知・固定観念を批判)。
次は一週空けて19日。どんな討論が聞けるか、楽しみだ。

夜、リバティ大阪の担当者から電話がある。20日のセミナーについてだ。担当者が鼎談相手の一人と打ち合わせしたことを受けて、どんな風に討議を進めたらいいか、相談した。
あと、 今回の企画に批判的なひっぴぃが公開質問状を提出すると言っていることについて、対応策を話し合う。
あすのセミナーには、ちゃんと行こう。ひっぴぃも来るようなことを言っていたから、 その場でひっぴぃと話をしてみることにしよう。
その後、OGC例会の出生予定者から、7日の例会の確認の電話。高橋りりすからも長電話がある。一日に3件も電話があるなんて、最近では珍しいことだ (4回も講演&鼎談をするなんてことも、珍しい)。

12月4日(木)

駅の売店でスポニチを買う。新庄が(予想通り)一面全面に載っていたからだ。学校に着いてからゆっくり見てみると、2面の大半も新庄ネタで埋まっていた。
さすが。
歴代の阪神番記者たちによる新庄の思い出記事が、 彼の意外な(?)一面をあぶりだしていて、ありがたかった。ただただ派手なだけじゃないということが、身近にいた彼らの視線から浮かび上がってくる。

オランダの映画「クリビアにおまかせ」を見る。ミュージカル仕立てになっているのだが、ミュージカルにつきものの、見ていて気恥ずかしい思いをしないでたっぷり楽しめる作品になっていた。
まあ、ミュージカルだから(?)、 多少、人物設定などがパターン化されている感がしないでもないが、それも許せる作りになっていた。
善良だけど少し抜けたところのある人や、身寄りのない貧しい人たちを住まわせている「クリビアの家」とその意地悪大家との、 ドタバタ大騒動を面白おかしく、そして、ほろりと描く。「クリビアの家」に転がり込んできた若き泥棒くん(ヘリット)が、ジェイムズ・ディーンをかなり甘ったるくした感じのハンサムで、なかなか楽しめた。
意地悪大家の元「友人」が隠れ(?)オネエとして描かれているのが気に入るといえば気になるが、1960年代の人気テレビドラマのリメイクだということなら、仕方ないのかも。大家とこのオネエとは、昔、 恋仲にあったのだろうとは思うのだが、映画では最後まで種明かしをしない。わかる人にはわかる、ということか(バレバレだろうが)。
2月中旬〜下旬公開予定。

12月3日(水)

見た、見た。新庄の日本ハム入団記者会見。札幌ドームでのど派手なやつ。テレ朝、TBS、フジ、日テレと、スポーツニュースを4局ハシゴした。カッコよかった。楽しかった。まったく、彼の笑顔は格別だ。
少し前のスポーツ新聞では、ファン4万人を集めての記者会見も検討しているとあったが、さすがにそこまでには至らなかったみたい。それでも、2000人が集まったとある。
記者たちからの質問は野球以外の話題が多かったということだが、まあ、それも愛嬌。ファンを愉しませてくれた。ぼくも愉しんだ。「これからはメジャーリーグでも、セ・リーグでもない。 パ・リーグです」という一言は、巨人に汚染されているセ・リーグに対する強烈なパンチになる(といいな。くたばれ ナベツネ)。
ちょっと心配なのは、これだけ大風呂敷を広げておいて成績がイマイチに終わったとき、 そして、ほかのチームメートから浮いてしまったとき。自負心の強い選手たちが、どう反応するだろう?彼の明るいキャラクターをうまく利用して、チーム全体が明るくなっていけばいいんだけど。

2学期の期末テストが近づいてきた。1年生のテストでは、教師になって初めて「プリント持ち込み可」という試験をすることにした。ほかの教員たちは、いままでもそうしてきた人が多いのだけれど。
今年の2学期後半は、久しぶりに古文をやった(と言っても、たかだか入門編だが)。それで、プリントなしだと生徒たちにはチンプンカンプ゚ンだろうということで、「持ち込み可」にしたのだ。
これまでぼくが持ち込み試験をしなかったのは、「点を取りたかったら板書をきちんと写しなさい」という、目の前にニンジンをぶら下げるようなことをしたくなかったことと、プリントを持ち込ませたら、 漢字問題が全問正解になってしまう虞(?)があるからだ。ほかの教師たちは、ノートを取っていればテストが出来る、ノートを取れば「ノート点」をやるといった「方法」で生徒たちを誘導してきたみたいなんだけど、 ぼくはそういうエサを与えるやりかたはしたくなかったのだ。
でも、まあ、古文のテストを実力だけでやりなさい、というのがうちの生徒たちに酷なことも事実。今回は、根負け(?)して「可」にした。
だが、要領のいいやつは、(授業中はぼけっとしていて)ノートを取ってた生徒に見せてもらって慌てて写している。あんまりいい気はしないが、一度言ったことは撤回しないことにしているので、仕方ない (「武士に二言なし」)。
まあ、どんな結果が出るか、楽しみ(?)でもある。

徒然硯