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Spyware Doctorから、「自動更新完了」の知らせが届く。ええ・・・??もう、とっくの昔にアンインストールしちゃったのに。削除したソフトなのに、使用料だけは取られちゃうの?そんなバカな・・・。「更新しますか?」と訊いてから更新しろよな、ちゅうの。
Google関連のソフトか何かをインストールしたときに、スパイウェアのチェック・ソフトとして紹介されてたから入れてはみたものの、正常プログラムまではじいてしまって使えなくなるのが出てきたから、すぐにアンインストールしたのだった(サイトで調べてみたら、同じように、過剰反応するという苦情を寄せている人が複数いた)。「更新完了のお知らせ」は英文だったので、"I already uninstalled at April 12,2008. Didn't you recognaize? I won't use Spatware Doctor any more."と書き送ってやる。その後で日本語の通知も来たから、同じようなことを書いてから、「使用期限が切れたときには、更新する意思があるかどうか確認してから作業を進めるべきだと思いますが、いかが?」と付け加えてやる。これで、無駄な金を払わせられずに済むだろうか?
代休3連休後の久しぶりの授業だ。
3時間目、18歳美少年くんのクラスでは、いまごろになって「新庄ブレスレット」が新品に代わっているのを見つけて声をかけてくる。彼の方は、ぼくがあげた古い腕時計が早々に壊れてしまったので、自分で新しいのを買ったようだ。ベルトが細いのは腕がかゆくなってアカンと言っていたが、彼が「OK」なのは、ストップウォッチやら何やらのくっついたクロノグラフ式の腕時計のことだったみたい。「こういうのがほしかったんや」と見せてくれたのは、確かに、ごつい感じだ。
4時間目のクラスでは出席者がたったの一人で(と言っても、最近では、いつも2人だけなんだけど)、「一人じゃ、授業を進めるわけにもいかんなぁ」と、チャイムが鳴るまでの間、ぼんやりして過ごす・・・と、この生徒は少年野球をずっと続けていたんだそうで、カバンからグローブと硬球を取り出して球を放り上げたり受けたり、一人で「練習」を始めた。教室を覗きこんだ新校の准校長もビックリしていたが、ガラスを割ったりさえしなければ、こういう状況ならこんなことがあってもいいだろう。
野球の腕前をさんざん自慢していたけれど、うちの野球部に入ったとしてもNaoとは反りが合わんだろうな・・・なんて思っていたら、授業後、外を見ると、野球部の練習に参加していた。もめたりせずに、ちゃんとやるかしら?
新国立劇場の「蝶々夫人」リハーサルを見学する前に、美容院に行く。「6時までに尼崎に行かなアカンのやけど、いける?」と訊いてみると、「ギリギリ、いけそうやね」と請け負ってくれたので、いつものようにカットとパーマを頼む(結局、脱色もしてくれたんだけど)。たぶん、普通の美容院では1時間でこれだけのことはできないだろうが、さすが、テキパキ。5時15分ごろに「テキパキ」を出て、地下鉄、阪神電車を乗り継いで尼崎に向かう。余裕で間に合った。
テキパキやってくれたおかげで、15分くらい前にアルカイックホールに到着。入り口で招待状代わりの受付FAXを見せて、入れてもらう。ホールの中は劇場関係者ばかりで、ぼくのような部外者見学はほんの数人だ。リハーサル前の舞台準備、オーケストラピット内のオーケストラの配置、客席の一部に設けられたPA操作コンソールの様子などを、邪魔にならない程度に観察しつつ、ゲネプロ(総仕上げの練習)開始を待つ。こんな状態の「オペラ劇場」が見られるなんて、普通ではありえないことなので、興味津々。代休が一日ずれてたら本公演が見られたのだが、ぼくにとっては、ゲネプロに立ち会う方がずっと面白い。本番同様、指揮者が出てくる直前に客電が落とされて真っ暗になってしまったから、カッコつけて「スコアを見ながら見学」というのをやろうにもできないことになる。カッコつけだけのためにスコアを買いに走らなくてよかった(やはり、ぼくがもってる「ラ・ボエーム」のスコアと同じRicordi 版を使っていたようだ。カッコつけのための買い物としては、決してお安くはない)。
練習とは言え、ゲネプロだからか、途中で止めてミスを指摘したり不具合を調整したり、解釈の違いを注意したりといったことはなく、ピンカートン役の成田勝美がところどころ口パクで声を節約していたのを除けば、すべて本番どおりに「通し」で演奏された。CDやレコードで全曲を聴いたことがないぼくにしてみれば、これが「蝶々夫人」初体験というわけだ。字幕テロップも本番同様、舞台の袖に流してくれたから、対訳パンフレットを見ながらCDを聴いてるみたいなもんだ。関係者を除けば、わずか数人の「お客さん」のためにオペラ全曲が演奏される・・・じつに贅沢なひとときだ。
「PARIS パリ」試写用DVDを見る。特別に面白おかしくドラマが作り上げられているわけではなく、現実にパリの街角で毎日繰り返されているであろう庶民の生活が、「観光名所」を背景に映し出される。普段着のパリ、といったところか。
しかし、日本人のぼくらから見ると、ちょいと変わっていると言うか、自分に正直なパリっ子ぶりが存分に発揮されていて、さすがはPACS法の国なのね、という感じだ。年齢差や社会的地位の違いとか、法的身分とかに囚われずに、気に入ったらやりましょう、という感じで、自分の性欲に忠実に従っているのだ。
ただ、まあ、ここで描かれているのは、みんなヘテロセクシュアルであるようだ。ダンサーのピエールはゲイっぽいようにも見えるが、ぼくにはよくわからない(「見分ける」能力がぼくには欠けてるのかも)。もっといろんなセクシュアリティが描かれていたら、より「PACS法の国」らしくなったのではなかろうか。それと、始めのうち、字幕が読みづらくてイライラしたけれど、劇場用フィルムでは改善されてるかしら?
代休2日目。田尻洋一のリサイタルを聴くために茨木に向かう。おとといの「益満さんをしのぶ会」が行われた会場のすぐ裏、クリエイトセンターでの火曜マチネー・コンサートだ。田尻くんのコンサートを聴くのは、ずいぶん久しぶりのことになる。
入口の受付で電話予約したチケットを受け取ってホールに入ると、KAWAI ピアノが目に入ってきたので、ちょいとビックリした。コンサート会場でKAWAIを聴くのは初めてのことではないかと思う。このホールにはこのピアノしか置いてないからなのか、田尻くんがこれを選んだのか、興味深いところだ。何食わぬ顔で舞台に現れた田尻くんはいつものように飄々と弾き出したが、スタインウェイやYAMAHAに比べると、中域がふっくらしているような気がする。専門的なことはまったくわからないくせに、べーゼンドルファーもこんな音じゃなかったかしら?なんて勝手な想像をしつつ、「KAWAI効果」がどんな風に表れるのか、耳をそばだてる。
きょうのプログラミングは「舞踏」にちなんだ曲を並べたということで、ウェーバーの「舞踏への誘い」に始まって、バッハのフランス組曲、ショパンのワルツやマズルカ、フォーレの「パバーヌ」、サンサーンスの「死の舞踏」と盛り上がったところで、休憩後はベートーヴェンの交響曲第7番がピアノ編曲版で演奏された。一般的にはリストの編曲が有名だが、きょうのは田尻洋一自身が編曲した物だ。ワーグナー言うところの「舞踏の権化」には、こちらの方がよりふさわしいかもしれない。編曲も演奏もじつに素晴らしい。
バッハの組曲を弾く前には「細かな曲がババーと続きますがね、『あれ、なんやったかな?』なんて考えんでもよろしいから、楽しんでください」、サンサーンスの「死の舞踏」でおおいに盛り上がった後には「後半のために、ピアノの『慣らし』をしたんですわ」・・・。一曲ごとに軽妙な語り口のおしゃべりが入るのだが、どんなに激しく盛り上がる曲でも背筋をピンと伸ばした姿勢がぴくりとも動かないのと同じように、話す声も乱れることなく飄々淡々としていて、酒をどれだけ飲んでも乱れないという「酒豪」もこんな風かしら?と思ってしまう。しかも、どことなくお茶目なところが、またなんとも言えない。ユニークなピアノストだ。
帰宅途中、日本橋で下車して中古CD屋とトンカツ屋、タワーレコードと古本屋に寄る。ばらえ亭、きょうのトンカツはとってもジューシーだ。途中下車した甲斐があった。
「まさくん」」が夢に出てきた、ような気がする。起きたときには内容をほとんど忘れていたので、夢の中で彼とどんな距離感でいたのか覚えていないが、やはり、心のどこかには引っかかりが残っているということなのだろう。
文化祭の代休1日目。きのう20時間近く起きてた反動で、きょうは整骨院に行ったほかは何をするでなく、一日ボンヤリのんびりと過ごす。
文化祭。定時制高校の文化祭なのに、朝から「開店」だ。眠たい目をこすりながら出勤する。
ぼくは受け持ちのクラス企画がないので、4年生のところにお邪魔して担任さんの企画をお手伝いする。面白いことに生徒は生徒で別の企画をやっていて、担任さんが一人で、小さな子ども向けに簡略版「飛び出す絵本」の製作ショップ(?)を出しているのだ(お金は取らないから、「ショップ」と言えるかどうか?)。なんでも、インターネットでダウンロードした「設計図」に沿って紙を切り取り、それを貼り付け位置が印刷された台紙に糊付けしてゆくと「飛び出す絵本」が完成するというのを、テレビで紹介していたらしい(もっとも、「文章」はないから「絵本」じゃないんだけど。虫とか蝶とかが立体的に飛び出してくるだけ)。数日前から担任さんが一人でこつこつと「見本づくり」に励んでいたから、隣の席で暇にしているぼくも少々お手伝いしたのだが、文化祭の本番でもそのまんまお手伝いすることにしたのだ。
とっても簡単にできるのもあるし、えらく手が込んでいて、どこをどう貼り付けたら完成するのか、一々見本と見比べながら作業しないと理解できないようなのもあって、やってみるとなかなか面白い。始めのうちはなかなかお客さんが来なかったけれど、ぼちぼち興味をもってくれる子が現れたりして、適当に声をかけながら「お客さん」の作業を見守る。細かくていねいに作業する人やら、大雑把に済ます人やら、性格がもろに出るところが面白い。
お手伝いの合間にあちこちの店を見て回ったが、食べ物屋が多くて「買ってや」「食べてってや」という声に律儀に応えていたら身がもたない。食べる気もない物まで買わされたりもして、1年生が作ったカレーはどんなんだろうと楽しみにしていたのに、そこに行きつくまでに腹一杯になってしまった。去年の担任生だった子が今年もリンゴ飴を作ったので、何はさておき、Naoの分も合わせて一緒に買う。「まさくん」の元職場である作業所のスタッグさんに挨拶、韓国チジミを買う。お気に入り18歳美少年がやっているお好み焼きも買う。
かつて、ぼくに軽音楽部の顧問を頼みにきた元生徒が今年も顔を出していたが、ドラムの美少年くんはまたもや東京に出て行ったという。「ええ??何しに行ったん?」「さあ・・・」「早く戻って来るように言っといてや」「おお。戻って来て、平野さんに『飼殺し』にしてもらえ、て、言うとくわ」
午後は玄関前のテントで「受付」業務。担当時間は2時間もあるからと、寒さに備えて厚着をしていったのだが、意外と寒さを感じずに済む。ただ、受付簿の記入の仕方がややこしいというか、生徒会の顧問から指示されたのと前の時間帯の担当者から受け継いだのとが違っていて、しかも全体が終了してから5分で「集計」してくれと言われたりして、アタフタとする。招待券を持ってきてくれたお客さんの券には、招待した生徒の名前が書いてあって、誰が一番たくさん呼んできたか、表彰することになっているのだ。さらに、生徒会役員が周辺地域に配って回ったチラシ持参の客が何人、通りがかりに入って来た客が何人と、分けて人数を数えろと言う。ええ・・・5分じゃ無理だよ。数人がかり、大急ぎで適当に数えて報告。こんなアバウトな集計で表彰しちゃっていいのかしら?
しかし、まあ、ともかく終わった、終わった。
学校から戻って一息つく間もなく、「益満さんを偲ぶ会」に参加するために茨木に向かう。JRと阪急の駅の中間点、会場の福祉会館に着くと、もう、始まっていた。あまり早く着き過ぎてもナンだし、ちょうどいい頃合いだろうと思ってたのに、開始時間を30分勘違いしていたようだ。まあ、どんなに急いでも物理的に無理だったんだけど。
入口から一番近い席に座る。両隣りも益満さんと同じくらい古い十数年来の知り合いで、寛いだ感じでおしゃべりに興じる。ただ、全体の司会を担当したオジサンが何かと仕切りたがる人で、ぼくのテーブルを囲む人たちはみんな顔を見合せてしまった。はじめに、お偉いさんか何か知らないが、益満さんとはそれほど深いつながりもないジイサンに中身のない挨拶をさせたかと思えば、「ひとことリレーをお願いします」と言ってマイクを回しておきながら、ぼくのテーブルが一巡したところで「一旦、休憩します」とか何とか言いだして、エレクトーン演奏なんぞを挟んだり、なんとも、うざったい。
結局、参加者全員から「ひとこと」を聞く時間はなかったのだが、特に益満さんと近しい間柄にあったと思われる人たちにはマイクが回ったような感じで、まあ、まあ、この会の目的は果たせたということか。ほかの人の話を聞いていると、益満さんの車に乗って怖かったと言う人が多いのに驚いた。ぼくの記憶では、そんなに乱暴な運転だったという印象はないのだが(むしろ、のろのろ運転、という印象の方が強い)、運転中に居眠りするんじゃないか?という怖さは、確かに、あるにはあった。それと、みんな、それぞれの家に彼女の「作品」が残っているというのも、意外なことでも何でもないのだが、ぼくのところにはそういう「作品」が残されていないだけに、改めての発見という感じだった。みんな、内装屋さんだった益満さんに壁紙やふすまを張り替えてもらったり、フローリングをやり直してもらったりしていたのだ。
2時間半、楽しくおしゃべりしたり食べたり飲んだり。東京から来てくれた古くからのお友だちを、大阪駅JRバス乗り場まで案内。あしたは研修会に出席するとかで、新幹線で駆けつけたばかりなのに、もう、夜行バスで帰らねばならないという。発車時刻になってもなかなか出ないバスを、自称「内縁の夫」さんと一緒に見送ってから帰宅する。
茨木から戻ると、その直後にNaoからSOSコールが入った。相当参ってるような声だ。フレンドリーに向かいながら話を聞いてみると、鳶の仕事は一日だけ出てみたものの「やっていかれへんわ」と言う。タイル職人として長年力仕事に携わってきたNaoだが、そのNaoにして、無理な状況だったらしい。小柄な彼には持ちきれないほどデカイ材料を、「コツ」の伝授も何もなしにベテラン鳶と同じペースで運ぶように言われ、休憩時間も約束どおりに取れないまま働かされ続けたのだという。
「そうか。無理な仕事を続けて体を壊したりしたら、せっかく修行を積んできたタイルの仕事もできんようになってまうから、辞めた方がええで」とぼくは慰めたのだが、ぼくが言い終わるか終らないかのうちに、もう熟睡体制に入っていた。フレンドリーでも、疲れすぎているのか食欲が出ないのか、食べてる途中で眠りこけてしまう。今夜のNaoは寝てばかりで、ほとんど話らしい話ができないくらいだ。よほど辛かったのだろう。
「我が至上の愛」試写会。なんとも大仰なタイトルだが、タイトルの大仰さに比べると作品が醸し出すたたずまいは思いのほかに静謐だ。静かすぎて、始めのうちはなかなか作品の世界に入って行けなくて、戸惑いを感じたほどだ。17世紀、パリの文学サロンで流行した大河ロマン小説のはしり『アストレ』(全編5000ページ! )から「アストレとセラドン」の部分を部分を抜き出して、エリック・ロメールが映画化したという。
物語の舞台を5世紀ごろのガリア地方に設定した原作者が「古雅」な雰囲気を映しだそうとしているからか、ロメールの語法がこういう空気を漂わせるのか、劇的な「見せ場」になるはずのシーンでも、どこか優雅と言うかのんびりと言うか、淡々と物語が進行してゆく。『ロランの歌』や『トリスタン・イズー物語』などのフランス叙事文学を読んで、そのテンポについて行けなかったときの記憶が蘇ってきたような感じだ。ただ、映し出される風景も、出てくる俳優も、確かに美しい。ことに、セラドン役のアンディー・ジレなんか、まさに、ぼく好みの美青年だ。
アストレとセラドンは互いに愛し合っているにもかかわらず、二人の両親が長年不仲であることから、祭りのさなか、セラドンはわざと別の女性と踊ってみせる。その現場を目撃したアストレがセラドンを激しくなじり、二度と自分の前に現れるなと言い渡すところから、二人の運命は狂いだす。「ロミオとジュリエット」と同じような背景をもった話だが、「ロミオ」と違って本人以外の家人がほとんど登場しないので「両家の仲違い」は実感できにくいし、セラドンが別の女性と踊ったとは言っても、相手の女性に比べて彼の方はいま一つ乗り気でないような素振りを見せるので(少なくとも、スクリーンを見ている観客にはそのように見える)、ぼくからしたら、アストレの怒りはいまひとつ理解しにくい。しかも、アストレの怒りにしても、決別宣言を聞かされたセラドンの戸惑いにしても、「古雅」な風情の中で演じられるから、現代人のぼくには、どうもピンとこない。
絶望に駆られたセラドンが川に身を投げて自殺を図る件にしても、あまりにもセラドンが従順と言うかあっけないと言うか、「山」も「谷」もない。次のシーンでは、下流に流れ着いたセラドンをドルイド教の神官から神託を聞いたお姫様が下女を伴って探しにくるという急展開で、物語はことごとく淡々と進んでゆく。「そろり、そろりと参ろう。いや、何かと申すうち、はや、これじゃ」の狂言と同じ、省略形の進行パターンか。しかし、狂言のような急転直下の「どんでん返し」もない。「どんでん返し」になるはずの展開も、淡々と進行する。
セラドンのあまりの美しさに一目惚れしたお姫様は、自分の城に囲い込んで「自分の物」にしてしまおうと企むのだが、セラドンの心はいまだアストレにある。彼に同情的な侍女の手引きで、お城を抜け出し・・・。
巡礼にやって来たアストレと、女装して彼女に近づくセラドンの「再会シーン」は見物ではあるけれど(アンディー・ジレが、じつに美しい)、女性歌手が若い騎士オクタヴィアンに扮して元帥夫人とベッドを共にし、「彼」が「女装」してスケベなオックス男爵を懲らしめるという「ばらの騎士」のお耽美陶酔二重倒錯と比べると、こちらはあまりに清純で、肩透かしを喰らうほどだ。
う〜〜ん。全体的にどう評価していいか、よくわからん。牧歌的なおおらかさに身を委ねるか、一介の羊飼いに過ぎないセラドンにころっと行ってしまったお姫様の身分違いの「恋」をめでるか、「女装」したアンディーの美しさに酔うか。
出勤するにはしたものの、文化祭の準備に入っていて授業はないし、担任ではないぼくにはすることがない。職員室でぼんやりしていたら校長がやって来たので、何か仕事をしていたような振りをしつつ講演会のアンケートを見てもらう。
一通り読み終わった校長は満足そうな表情で、「これで私の役目も終わったな(彼は今年で定年だ)。ホッとしたわ。これも平野さんのおかげや」と呟いた。ぼくは慌てて「いや、いや・・・」と返したのだが、謙遜でもなんでもない。これは本当のことだ。ねぎらわれて悪い気がしないのは当然のことだけれど、ぼくがしたのは講師を頼んだことだけで、こういう機会がもたらされたのも、実り多い講演会がもてたのも、カムアウトしたいと言ってきた生徒のおかげだ。この学校が、「カムアウトしたい」「カムアウトしても大丈夫」と思えるような環境を彼に提供できたのだとすれば、それが一番の「収穫」と言うべきだろう。
Naoの鳶用作業服を買いにゆく。まず、彼の家から一番近い店に行ってみたのだが、とびきり小柄な彼の体型に合ったのがないようだ。自分一人で下見に来たときには、おじさん店員がうまいこと見つけ出してくれたらしいのだが、きょうはおばさんしかいなくて、山積みになった商品の中からよう見つけないようなのだ。体に合わないのを無理に買って、仕事に差し支えが出ては話にならない。別の店に行ってみる。
泉北地号線沿いにあるその店は近所のよりずっと大きくて、商品も見やすいように並べてあるから、店員の助けを借りて体のサイズに合った物を一式、揃えることができた。めでたし、めでたし。しかも、レジで計算間違いをしたみたいで、後で計算してみたらお釣りがえらく多い。思わず、ニンマリ。
肩凝りの痛みはほぼ取れてきた感じだ。そんなこともあって、やっと、10月分の「日記」を書き始めることができるようになった。まあ、完全に治ったわけではないから、様子を見ながら、といった感じ。
Naoから電話。きょうは野球部の練習を終えた後で、新しい現場の状況をチェックしに行っているようだ。鳶の仕事にも入ることにしたので鳶用の作業服を買いに行かなければならないのだが、「どないしよう」と言う。「どないしよう」と言ってきたということは、自動的に、ついて来てくれということなのだろう。
「あした、行こか」と約束する。今以上に仕事をして、体を傷めることになるのではないかと、それだけが心配だ。
レイフ・オヴェ・アンスネスのリサイタルに行く。ノルウェーを代表する実力派ピアニストだ。派手に売り出すタイプの人ではないからか、いつも満席に近い入りの兵庫県立芸術文化センター大ホールも、きょうばかりは空席が目立つ。5割か6割といったところか。ぼくだって、彼のCDを2、3枚は持っているとは思うけれど、熱心なファンだというわけではない。ネットオークションを覗いたらチケットが出ていた(定価通りの1000円)ので、ゲットしてみたまでだ。が、思いのほかの素晴らしいコンサートとなった。
前半はベートーヴェンのソナタ2曲、後半がドビュッシーの前奏曲集から抜粋数曲というプログラムだったが、ベートーヴェンにことのほか感動した。ベートーヴェンというと、運命!!! から連想されるしゃにむに前進してゆく激しい曲ばかりを思い浮かべる人が多いだろうが、アンスネスのベートーヴェンはなんとも柔らかい。単に「柔らかい」とだけ言ってしまうと誤解されてしまうかもしれないが、うまく表現する言葉が見つからない。鋭く研ぎ澄まされた「美音」とはまったく違った「美しい音」の出し方をしていて、音の輪郭は角が取れた暖かい感じで、しかし、深いところにしっかりとした芯がある。それがホール全体にすーっと沁み渡ってゆく様は、至福の瞬間だ。ほかのピアニストからは聴けないものではないかと思う(ピアノ界のことには詳しくないんだけど)。こんなにぬくもりのある暖かいベートーヴェン表現があったなんて・・・。
隣の席にいた老夫婦は「劇的ベートーヴェン」のイメージに合わないのが気に入らないのか、まったく拍手しないまま座っていたけれど、ぼくはすっかい参ってしまった(後半のドビュッシーにピッタリの音色かも、と期待して待っていたのに、知らない曲が多かったせいか、ぼんやりしているうちに終わってしまった)。終演後は、ロビーで売られていたCD(シューベルトのソナタ集、2枚組み)を求めてサイン会の列に並ぶ。いつも家からサイン用のCDを持っていくぼくが会場で買い求めるのは異例中の異例だが、この音でシューベルトを演奏されたら堪らんだろうなと思ったのだ。
ところで、ぼくの席の真反対側、舞台下手のバルコニー席に着物姿の女性が座っているのが目に入って、大萩くんのコンサートにいつも来ている&交流会では司会もするおば様かな?と思ってたら、やっぱり、そうだった。ちゃっかり、列の先頭に並んでおられたので苦笑(?)してしまった。アンスネスは大萩くんのようなイケ面ではないから、ぼくみたいなミーハーおっかけと違って、きっと、音の美しい演奏家が好きなんだろうなと思う。
ある外国のサイトを見ていたら、"bicurious"という見慣れない言葉に出会った。Bisexual と言い切れるほどはっきりと両性に対して性的欲望を抱いているわけではないけれど、どことなく関心をもっている人のことかな?と思って調べてみたが、英和辞典には載ってないようだ。最近できた造語なのだろう。英文のWikipediaを見てみると、やっぱり。「bisexual とかhomosexual という自己認識はもってないものの、同性に興味をもっている人」「homosexual と自己認識しているが、異性にも興味がある人」とある。おそらく、bisexual より曖昧で揺れのある概念なのだろう。
こんな風にセクシュアリティのありように関わる言葉が細密化してゆくのは、既存の言葉では自分のセクシュアリティが十全に表現しきれないと感じる人が増えてきたというか、セクシュアリティのありようを素直に見つめる人が増えてきたということなのだろう。
OGC例会。じつは、きょうは産業教育フェアの全国大会が大阪で開かれているとかで、新校・旧校を挙げてみんなで見学に行っていて、教員も生徒引率と展示のガイド役として会場(&付近)に「出勤」しているのだが、ぼくは、当日の予定を尋ねるアンケートが回ってきたから「アウト」と返答したところ、自動的にお役御免となったのだ。「予定は?」と訊かれて「予定あり」と答えただけのことなのに、そんな返事をしたのは、どうやら、ぼく一人だったみたい。管理職なんかは日が近づくにつれて表情が険しくなってきたが、ぼくだけ一人、蚊帳の外でのんびりしていた。例会をお休みにするというのも考えないではなかったけれど、こういうのも「さぼり」と言うのかしら?しかし、まあ、運よく「用事」があってよかった、よかった。
夕方にさしかかったころ、「もとくん」が顔を出してくれた。「寝床」の日記がさっぱり更新されないから、どうしてるんだろう?とぼくの顔を見に来てくれたんだという。「はあ・・・元気は元気なんだけど・・・」と答えるには答えたが、肩凝りがきつくて、コンピュータに向かうのがなんとなく億劫だというのが正直なところだ。「心配していただいて、すみませんねぇ」と言うしかない。例会が終わってから、一緒に膳屋に入って夕食を摂る。当然、「まさくん」についても話が出たけれど、彼のところにも何も連絡は来てないようだ。ぼくとしても、「もう、どうでもよくなったよ」と返すしかない。
夜遅く、NaoからSOSコールが入る。仕事の関係で、ある人(親方の一人?)の家に来たのだが、会合が終わったら自分で帰ろと言われたらしい。自分で帰ろ、と言われても、歩いたら家まで1時間以上かかるだろう。迎えには来てくれたのに、どうして帰りはほっておかれるのか、さっぱり、わからない。
電話で道順を聞いただけでちゃんと出会えるかしらと不安だったが、言われた通りに細道をたどっていくと、道端に一人ポツンと突っ立つNaoが、ライトの光に浮かび上がってきた。学校の宣伝で中学校周りをさせられたときの、担当校に向かう道の途中だ。うどん屋で腹ごしらえして、家まで送ってゆく。
「またまたご無沙汰」と、Noriから久々のメールが来た。何度も言うように、ぼくがコンピュータを始めることになったのは彼の「ひとことが」あったからだが、ぼくをコンピュータに引っ張りこんでおきながら、こんな風に忘れかけたころにしかメールをくれない。まあ、くれるだけでもまし、と考えるべきか。
最近は、PC用のヴィデオカメラ(?)を前に、動画付きチャットを楽しんでるのだという。「そっか。Noriも寂しいのね。ぼくが慰めたろか?」とでも返してやろうとは思ったけれど、もう少し遠回しの表現で返事を返しておいた。動画付きチャット、ねぇ・・・。ぼくより20歳年下だから、彼も33。「オジサン」になってるかしら?ネット上では性別も年齢も、書類上の記録より「それなりに見える」ことの方が大事だから、そんな駆け引きも含めて楽しんでいるのかもしれない。
せっかくの「映画の日」だというのに、今月も気分が乗らないまま、一日家に籠もっていた。このところ、こんな月ばかりだ。冴えない・・・。
その代わりと言っては何だけど、夜になって、ネットオークションでゲットしたDVD「俺たちフィギュアスケーター」を見てみる。アメリカのフィギュアスケート界でライバル同士としていつも張り合っている2人の若い選手が、1位と2位を分け合った表彰台の上で乱闘事件を起こしてしまったために、永久追放となる。片方は猥褻すれすれのワイルド・セクシー路線一直線のマッチョ系だが、もう一方はぼく好みの美形くん。王子様を通り越して、「お姫様」の域に達している。
意気消沈した2人は、それぞれにスケート関連の仕事を細々と続けていたのだが、美形くんのストーカーと化した熱烈ファンが「出場禁止となったのはシングルだけで、ペアを組めば出場は可能だ」とけしかけたために、男同士のフィギュアスケート・ペアが誕生する。犬猿の仲だった二人がすったもんだのドタバタ劇を繰り返しながら、男同士でなければ演じられないほど危険な「幻の技」を見事成功させて優勝するという、まあ、バカバカしくも面白おかしい娯楽作品だが、CGやらワイヤープレーやらを織り交ぜての豪華絢爛たるスケートは見物だし、同じ孤児院に収容されていた2人の明暗を分けることになる「運命のいたずら」も描かれて、ホロリとさせられたりもする。
お姫様美形ジョン・ヘダーくんのお目々キラキラ星印ぶりには、当然、好悪が別れることだろうとは思うけれど、ぼくは十分楽しませてもらった。つい特典映像もすべて見てしまったくらいだ。かっわいい♥