PARIS パリ特別に面白おかしくドラマが作り上げられているわけではなく、現実にパリの街角で毎日繰り返されているであろう庶民の生活が、「観光名所」を背景に映し出される。普段着のパリ、といったところか。 ↑top |
我が至上の愛なんとも大仰なタイトルだが、タイトルの大仰さに比べると作品が醸し出すたたずまいは思いのほかに静謐だ。静かすぎて、始めのうちはなかなか作品の世界に入って行けなくて、戸惑いを感じたほどだ。17世紀、パリの文学サロンで流行した大河ロマン小説のはしり『アストレ』(全編5000ページ! )から「アストレとセラドン」の部分を部分を抜き出して、エリック・ロメールが映画化したという。 ↑top |
帝国オーケストラ「ベルリン・フィル〜〜最高の・・・」がいまのベルリン・フィルを映し出す作品であるのに対して、「帝国オーケストラ」はナチス政権下のベルリン・フィルを検証する作品である。 ↑top |
女工哀歌過酷な労働条件の下、低賃金で働かされる中国ジーンズ製造工場の実態を描き出すドキュメンタリー。とは言え、いくつかの点で、正真正銘のドキュメンタリーなの?という疑問は湧いたんだけど。 ↑top |
マルタのやしい刺繍しわくちゃばあさんのマルタが、とってもかわいい。長年連れ添った夫が亡くなって、9ヵ月。人生のベテランが、そんなにいつまでも失意の底に沈んでるものなのかしら?と思わないでもないのだが、若いころに夢見たランジェリーショップを開こうと思い立ってからのマルタの輝きは、見ものだ。スイスの小さな山村のこと、頭の固い男どものお下劣な嘲笑が腹立たしいが、マルタとその友人は負けてなんかいない。幾度か挫折しそうになりながらも、そのたびに立ちあがる。七転び八起き。ばあさんは逞しい。 ↑top |
ベルリン・フィル〜最高のハーモニーを求めて1時間58分、ぼくの眼と耳はスクリーンに釘付けになった。2005年にアジア・ツアーを行ったベルリン・フィルを追いかけた作品だが、「ベルリン・フィルはいかにしてベルリン・フィルになるか?」という誰もが知りたがる秘密に迫った映画でもある。 ↑top |
未来を写した子どもたち舞台はインドのカルカッタ。売春することでしか生計を立てゆけない貧しい女性たちが住むこの街では、その子どもたちも母親の「生業」を継ぐのが当然という前提で日々の暮らしが営まれている。彼らに「明るい未来」は許されていないのだ。 ↑top |
ヤング@ハート平均年齢80歳のじいちゃん・ばあちゃんの合唱団をおっかけた映画だというから、ほのぼのと心温まる「癒し系」の作品になってるのかな?と想像していたのだが、どうして、どうして。出てくるジィサン・バァサンは、みな、やけに元気がいい。確かに体にはガタがきていて、杖をついて舞台に登場したり酸素吸入器を脇に抱えて練習場にやってきたりといった状態だが、彼らの心も顔も、ピチピチはじけている。精神年齢は20歳・・・かも(汗)。 ↑top |
リダクテッドブライアン・デ・パルマ監督の新作。"Redacted"というのは「編集済み」といった意味の業界用語だという。「個人情報保護」とかいう名目で様々な情報が塗りつぶされて公表されることを言うのだが、それを口実に権力体制に不都合な情報も隠されてしまう。アフガン・イラク戦争を巡っては、欧米のマスコミがこぞってアメリカ政府の御用機関になり下がって、真実を民衆の目から遠ざけることに加担しているのに(日本のマスコミは、その壊れたコピー)、誰もそれを真正面から批判しない。 ↑top |
宮廷画家ゴヤは見た「カッコーの巣の上で」「アマデウス」のミロス・フォアマン監督らしく見応え十分で、2時近く、観る者を飽きさせることがない。舞台は18世紀末から19世紀始めにかけてのスペイン、と言うか、タイトルの主語はゴヤだが、物語の「主人公」はゴヤではなく「ゴヤが生きた時代のスペイン」だと言うべきか。ゴヤの目を通してスペイン社会を描き出すというとぼくには堀田善衛の『ゴヤ』四部作が印象深いが、フォアマンの方がもっと動的で、激動する時代の波に翻弄される人びとの人生が縦横に活写される。 ↑top |
トウキョウソナタ「家族ゲーム」現代版といった感じもするが、あちらは家族全員が横並び一列で食卓に着いていた。こちらは普通の向かい合わせ4人がけテーブルを囲んでの食事風景だが、それでも彼らの間には会話がない。向かい合わせに座っていても会話がない「今日的状況」の方が、事態はより深刻だと言うべきか(「家族ゲーム」のディテールはほとんど覚えてないので、正確な比較はできないが)。 ↑top |
TOKYO !「世界の映画界をリードする3人の監督」が"TOKYO"からインスパイアされたものを映像化した「奇跡のコラボレーション」だというのだが、どうもピンとこない。3人の監督というのはミシェル・コンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノの3人で、その筋では有名な監督らしいのだが、幸か不幸か、ぼくは辛うじてレオス・カラックスの名を知っているだけだ。そのカラックスにしても、前作の「ポーラX」がぼくにはピンとこなかったから、この3人の名が並んでいたところで、ぼくの気持ちが動くこともない。部分的には笑えるところもあったけれど、でも、これって、なに?というのが率直な感想だ。 ↑top |
がわ教え子、ヒトラー敗色濃厚な第二次大戦末期のドイツが舞台。悪知恵が働く宣伝相ゲッペルスは、起死回生の策として、1945年の1月1日、百万人のベルリン市民の前でヒトラーに演説をさせて、その模様を収めたフィルムをドイツ全土で上映することを思いつく。ヒトラーの名演説で国民の愛国心を奮い立たせようという算段だ。ところが、肝腎のヒトラーは心身ともに病んでいて、とてもそんな演説をこなせそうにない。そこで、ゲッペルスが白羽の矢を立てたのが、ユダヤ人の名優アドルフ・グリュンバウム。偉大なる指導者として大聴衆の前に立てるよう、ヒトラーに対して「演技指導」を施させようというのだ。残された時間は、5日間。 ↑top |
敵こそ、我が友ナチスの熱狂的支持者にして親衛隊のメンバーだったクラウス・バルビーの半生を描く。だが、単に彼の人生を描くだけでなく、戦後40年以上にもわたって彼が戦争犯罪の裁判を受けることなくのうのうと生き延び続けた「背景」にまで迫っているところが、この作品の興味深いところである。映画は当時の記録フィルムを交えつつ、バルビーの娘、腹心の部下、学者、ジャーナリスト、フランス・アメリカ・ボリビアの「関係者」、そしてバルビーによって迫害された被害者とその遺族等々の証言を次々と映し出してゆく。 ↑top |
闇の子供たちすごい作品だ。ぼくは最終試写会に駆けつけることができたのだが、見終わって、ずしりと心にくる映画である。 ↑top |
きみの友だち派手な「見せ場」や「山場」はないが、登場人物に優しく寄り添うようにゆっくりとしたテンポで描き出される物語が心にしみる。始まる前は、途中で居眠りしちゃうんじゃないかと思うほど眠たかったが(上映開始を待つ間、ほんの数分、ウトウト)、見始めたら、居眠りどころか最後までスクリーンに吸いつけられるように見入ってしまった。 ↑top |
NAKBA パレスチナ1948「NAKBA パレスチナ1948」。正直言って、しんどい映画だ。フォトジャーナリストである広河隆一の監督一作目だというからまさくんを誘ったのだが、彼もぼくと同じような感想ももったようだ。彼はおととしのバースデー・プレゼントに、広河隆一監修の「世界の戦場から」シリーズ(岩波書店)がほしいと言ったくらいの人なんだけど。 ↑top |
潜水服は蝶の夢を見るまさくんの仲間は「普通じゃん」と思ったそうだが、ぼくにはなかなか面白かった。「現場」を実体験してない人間の感想、という範囲内のことかもしれないが、左目しか動かせないようになってしまった主人公の「目」から世界を見ているという作りは、映画の作りとして、とても興味深い。実際にこんな風に見えるのかどうかは「死後体験」と同じことで、想像の域を出ない話であるには違いないのだが、彼の意思が周囲に少しずつ通じてゆくようになるまでの間は、徹底して本人の「目」から、というカメラアングルを崩さない。首も動かすことができないから視界もきわめて限られているし、医者や看護師の対応に不満があっても抗弁できずにいる様も、なるほど、こんな感じなのかもね、さぞかし苛々することだろうなと納得させられる。 ↑top |
どこに行くの?ボーイズ・ラブ映画の一つであるらしいだが、これはアカンかった。ぼくの好きな柏原崇くんの弟、収史くんが主人公なのだが、彼に迫るゲイのおっさん二人が「いかにも変態」といった描かれ方をしているし(いつまで古臭いイメージを引きずっているのか?)、ニューハーフを好きになった収史くんは「彼女」と「結婚」しちゃうし。彼が惚れたニューハーフは、人気が高い人らしいんだけど、言うほどには美しくなかったし(すっピンに近い?)。収史くんは、兄貴の崇くんほどには美しくなかったし。だんだんトイレに行きたくなってきて我慢してたこともあって、最後の辺りは早く終わらないかとモジモジしてしまった。(4月1日、劇場) ↑top |
コロッサル・ユースプレスシートにはカンヌ映画祭で前作(ペドロ・コスタ監督「ヴァンダの部屋」)以上の衝撃を与えたとあるが、正直言って、ぼくには少々しんどい映画だ。いつものことながら、ぼくにはカンヌの「価値観」がさっぱりわからない。155分間、いつになったら物語の筋が見えてくるんだろう、いつ終わるんだろうと、ひたすら待った。 ↑top |
タクシデルミアハンガリーのぶっ飛び映画だ。宣伝会社RCSの佐藤さんは「久しぶりにこういう映画が上映できて嬉しいです」と満面に笑みを浮かべていたが、ぼくにしてみれば、もっとぶっ飛んでくれててもよかった。所々、ぶっ飛び方に緩みが見られたように感じられたのが、逆に気になったほどだ(ただ、ほかの人はぶったまげていたようで、「感想を聞かれたら(何と言ったらいいか)困るわ」「美意識が全然違うてことだけは確かやな」などと言いながら試写室を出て行った)。 ↑top |
コントロール23歳で早逝したロック・ヴォーカリスト、イアン・カーティスの人生を描く。ぼくはこの手のジャンルには疎いからまったく知らなかったのだが、1970年代イギリスで「伝説」となったロックバンド、"ジョイ・ディヴィジョン"(ナチスの将校用慰安所の意)で歌っていたのだという。 ↑top |
人のセックスを笑うなタイトルの奇抜さにひかれて期待して観に行ったのだが、こちらも、ちょいと・・・という感じで終わる。山崎ナオコーラのデビュー作『人のセックスを笑うな』を井口奈己監督が描いた作品だが、
これも137分の長編だ。長い。「もったいなくて、切れなかったらしいです」と宣伝会社の人は言ってたけれど・・・。う〜〜ん。 ↑top |
レンブラントの夜警期待半分、不安半分でスクリーンの前に座る。「半分の不安」というのは、「コックと泥棒、その妻と愛人」の後くらいから、映像的には美しんだけど・・・よくわからん、
といった感じで、ぼくにはグリーナウェイの「表現」に付いていけないようになっていたからだ。139分の「レンブラントの夜警」も、やっぱり置いてかれてしまった(それにしても、長い)。構図的にも色彩的にも、カメラワークとしても完璧なんだろうけど、どうも乗れない。完璧であるがゆえに(素人には)わかりにくい、のか。 ↑top |